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不登校がダメな理由、コメントのお返し③

引き続きご意見ありがとうございます。

予防接種について、僕の意図がうまく伝わらなかったようなので補足させてください。

 

スゴく納得しました
それと同時になんかモヤモヤ
気持ちはわかるんだけど納得したんだけど・・
それは責任逃れなのではないかと思う

 

ちょっと悲しく感じました。
自らの手を汚さない、逃げの為にワクチン拒否や無理な登校をさせる親はいないと思います。
我が子ですよ?
私もワクチンはあまり…派ですが、かなりの数の本を読みましたし、医者も3人と直接話をしました。それが多い少ないかは人それぞれでしょうが、自分が納得するまでとことん勉強して、その中で必要と思った2種のみ子供には接種させています。

不登校については実体験ありませんが、親もとことん悩み考え、その上で不登校が良い悪いと判断していると思います。自分が手を下すのが嫌なので、とりあえず学校には通っておけ、不登校はあかん!という親は少ないのでは?

不登校賛成派も反対派も親は皆必死に考えていると思います。幻想ですかね?

 

僕の書き方が悪かったですね。

責任逃れや逃げという意図は全くないです。

優先順位の問題で、どちらも正解だと思います。

そうでなければトロッコ問題なんてそもそも成立しないですから。

 

「物理的に注射を打った結果最悪の事態が起こるのを回避したい」と考えるわけですから、無責任などでは断じてないです。

その分、罹患率が上がるというリスクを背負っているわけですから。

それが無責任だとしたら、ワクチンを打つ判断をする人も副作用の可能性があるのを承知で接種するわけですから、同様に無責任です。

 

どちらも親心で、必死で考えている。

もちろんそうだと思います。

良い・悪いとかないし、誰かを責める気は全くないです。

この理論で考えたら僕は納得できたというだけの話です。

自分の考えとは異なる選択をする選択をされる方は、なぜそう思うのかという興味の話でしかないのです。

 

なので、ワクチンを打たないことについては僕は全然良いと思います。

打つ義務もないですし。

 

稀に重篤な副作用という「稀」にあたる場合もある。
でもなったら重症化する。
親にとっては、究極の選択で、受けた方がいいのでしょうが、受ける不安が拭えない。
自然になったらなったで飽きられめられるとかそういう問題でも無いです。

その時は、やっぱり受けておけば良かったと思うでしょうし、打って万が一になったら、受けさせない方が良かったってなるでしょうし。
ギリギリの選択がそこにあります。
1番は、愛する我が子を失いたくない気持ちからです。

 

そうなんですよね。

でも、どちらかを選ばざるを得ない。

その時に「行動の原理」が強く働く人もいるよなーって僕が納得しましたって話です。

どちらを選んでも、正解・不正解はないと思っています。

 

乳児湿疹やアレルギーが酷かったので予防接種を打ちたくなかった(なるべく異物を入れたくなかった)のですが、保健所では非国民扱いされ、酷いときには病原菌を撒き散らす犯罪者予備軍扱いされました。(東京23区内)

なるべく大きくなってから、と遅めに打った第一子で、強めの副反応がでで、それを話すと下の子たちはあまり言われなくなりましたが。。。

予防接種の場合は、接種する人が大多数なので、責任を取りたくない人は予防接種打っていると思います。
打たないで罹ったら母親のせい、と強く言われることが多いですし、何かあっても「国が決めてるから打ったのに」と言えるので。

我が子三人とも不登校ですが、風当たりは不登校の比ではないくらい強いです。

 

予防接種、「親の判断で手を下して もし重大な副反応が出たら精神的に耐えられない」
これを毎回思っていました。
その上で、もろもろを天秤にかけて、ドキドキしながら接種させる、の繰り返しです。トロッコ問題のたとえ よく分かります。
そしてコメント書かれている方のおっしゃるように、「うつ方が大多数」である事が、接種決定の一助になるかたちです。

 

「行動の原理」が強く働く場合。

予防接種に限って言うと、物理的な面に関しては『打たない』を選びたい、でも社会的な面に関しては『打つ』を選びたいという矛盾が発生しますよね。

そこは気づいていましたが、例として物理的な側面のみ出して言及したつもりでした。

ややこしくなりましたよね。すみません。

 

予防接種の話、ちょっとP先生の考え方と違う方向からの話になっちゃいますが、私が子供を産んだ20年前は今みたいにたくさんの種類はありませんでした。昔の予防接種の数でも20年間丈夫だったよ、健康だよ、困ってないよ。今はなんでそんな数の接種が必要なの?本当に必要?生まれてすぐのその小さな体に毎月ワクチン入れてそれって本当に必要なの?大丈夫?って率直に思います。

だって、その必要性を知らないから。
知ろうとしてないから。
今までの経験上、そんなに必要ないじゃんって思ってしまう。
でも、知ろうとして色々なことを知っていくとまた考え方が変わるのかもしれない。

不登校ダメ派の方も同じかなと。

将来は自立しなきゃならないじゃん。
自立って 問題解決に向けて自分で試行錯誤しながら乗り越えるもんだよね。
自分だって、嫌なこと辛いことあったけど、逃げずに乗り越えてきたよ。逃げないで良かったと思ってるよ。だからあなたも頑張って!

…意見ってやっぱり、自分の経験がベース。知ろうとしない限り、その考えから先はない。自立には他にも色々な考え方があるなんて想像すらできない。

だからレバーを引いた先が見えなくて真っ暗ならあえて自分からは引かない。

でも、引いた先に明るい未来があるかもしれないと知ることができたならば、勇気が出るかもしれない。

世の中普通や常識は少ーしずつ変化していくんだけど、一度染み付いた当たり前に新しいことや初めてのことを上書きしていくのは、苦労しながら生きてきた人ほど大変な作業なような気がします。もしかしたら知るのが怖いと思うかもしれないですね。

私の母は不登校を選んだ結果が今の8050問題を起こしていると思っています。
娘の不登校を心配して、最近よくテレビでやっているひきこもりの特集を色々と見ています。

 

レバーを引いた方が(不登校を許容するほうが)被害が大きいと思っているパターンですね。

僕の提示した状況とはちょっと異なりますが、そういう人もたくさんいるのでしょうね。

無知故にってやつですね。

 

右向け右!で動いてくれる働き蟻を育成しないといけないから。本当は先生方の中には別のルートで育っても良いよと思っている人も結構いますが(我が子三人不登校なのでオフレコで話してくれる先生もいます)それをOKだと世の中が気付いてしまうと、トップダウンの指示で働いてくれる大多数の人材がいなくなってしまうから。だから、文科省で不登校OKとアナウンスしつつも現場では教室へ戻れるように働きかけをしてますか?と担任は上から聞かれる。
皆がマイペースで働ける世の中になれば良いのにと言ったら、そんなんばっかりになったら社会は終わる。と言われたことがあります。むしろそこから始まると思うのですが。。
個人の生き方を尊重していいということに気付いてしまうと不都合な方々が、不登校ダメ、ゼッタイ。と思わせて置きたいから。そうすると日本人はその空気を読んで、不登校を許すと何か悪い世の中になるらしいぜ→それはマズイ。よく分からないけど、不登校ダメ、ゼッタイ!そう言っとけば間違いない。ということかな。と。

 

これはですね……。

僕の知人と話したときも、同じ意見を言われました。

政治的なことについては僕は言及したくないので深いコメントは避けますが、正直説得力がすごい。

 

みんな違って当たり前。
我慢してると言っても、辛さの加減も人それぞれ。

辛さも幸せも、はかれない。

 

完全同意です。

 

人と関わらずに社会で生きていくのはほぼ不可能なので、人と関わる練習を積む学校生活を完全否定することはとてもリスクが大きく、なかなか当事者には難しいと思います。一見人と関わらずに生きれそうな職人や芸術家も顧客とサポートしてくれる人があってこそ。あの草間彌生も学校ちゃんと出てますしね!

 

もうーーーーーっっっ(笑)

だからそれが学校じゃないといけない理由を教えて欲しいと何度言ったら。

もう、ネタですか?

天ドン? 天ドンなのか?

「なんでやねん!」

「どないやねん!」

 

長い人生、苦しくて学校に行けないのなら休めばいい。それが本人が選んだ道。自分を押し殺してまで登校し社会人で倒れるなら、不登校を自分について考えるチャンスにすればいい。私は不登校肯定派です。

 

ぼくもそう思うのですよ。

というか、そうとしか思えないから、否定する方はなぜそう思うのかが知りたくて。

 

先生も聖人とは限りません。贔屓や嘘も良くつかう普通の大人です。
勉強が全然出来ないコは学校に来てるだけで将来安泰ですか? いじめするコは良い社会人になれる保証はありますか?
そんな逆からの考え方していけば、
不登校だから将来が心配なんて単純な決めつけが
無意味だと思うのではと思います。

 

ですよね、ですよね。

逆に、なぜ学校に行けば安泰だと思えるのでしょうか。

そこが不思議なのです。

 

 

 

ってことで、引き続きご意見よろしくお願いいたします。

pediatrician-p

View Comments

  • 学校へ行くのはみんなが当たり前に行っているから、その流れに乗っていれば安心ということ。
    たとえその道から外れたとしても、紆余曲折しながらも世間で言われている普通のルートに戻ることもできる。
    どこで学んで生きるのかではなく、個人がどう考えて生きていくかだと思う。子どもはいづれ自分で動き出す。
    学校を普通に卒業してから引きこもる人もいるし、不登校や引きこもりのきっかけや時期は人それぞれ。
    不登校=未来は必ず引きこもりか社会不適応者では無い。
    だめとか良いとかということでなく、今必要だから休むだけ。そんな柔軟な考え方ができたらいいなと思う。

    いろいろな生き方が共存できたらいいなと思います。確率がゼロか100かみたいな考え方は苦しいです。

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