たくさんのコメントありがとうございます。
どれも興味深く読ませていただいています。
気になったものをいくつかピックアップ。
不登校でひきこもりで大人になったら?8050問題です。
一人親とか低所得なのに子供の衣食住や
税金や医療費はずーっと親が面倒みるんですか?
そのまま引きこもりになって、自立できず、親の年金で暮らし、親が死んだら孤独死。
息子が不登校になる前は不登校とかあり得ないって思っていました。学校は社会に出るため練習をする場所であり、その練習の場がなければまともな大人になれない、くらいに思ってたと思います。なので息子が不登校になったときは、もうまともな大人になれないって、お先真っ暗でした。
このようなご意見をまだいくつもいただくんですが、違うんです!
(引用させていただいた中には、きちんとご理解されており「以前こう思っていた」という書き方の方もいらっしゃいます)
不登校はひきこもりになって8050問題になるって、なぜ決まるのですか?
不登校経験者のひきこもり率って高くないんです。
5年後には8割が社会復帰しているというデータもあります。
わたしは子どもは親の所有物でもなければ、一人の人格者なので、今起きてることは子どもが乗り越えていかなければいけない事だから、親が出来ることは先生がいつも言われてること、そして信じ抜く事だと思っています。
義務教育を受けないと自立できないとか、社会に適応しないとか…そんなこと言う人って未来分かるの?って笑。
ですよね。
不登校の子のその後のデータがあまり無いからじゃないでしょうか?
歪んだ正義感だと感じます。ネット上はネガティブな情報多いですし。
「元不登校でも成功してる人間」なんてほんのひと握りだなんて、言われなくてもわかってますよ。
そんな幻想持ってないです。
でも、成功してない人はみんな転落人生歩んでるんですかね?
そんなまさか。
学校を卒業して社会に出る以外の道を知らないから、ではないかと思います。
親は子供の自立をゴールに設定しがちなので、社会のレールから外れてしまうのが、心配で不安。
今の時代、普通に生活していくだけでも大変なのに、不登校になっちゃって、その後どうやって生きていくの?と。
学校以外を通る道を知らないし、身近に成功例がないから拒否ってしまうのではないでしょうか。
世の中の需要(就職とか恋愛とか)が1番多いのが普通であることなので、なんとかそこにねじ込んでおきたい、的な。
これな。
僕も同意で、データがないのは分かるんです。
そもそもデータが取りづらいし、エビデンスレベルの高いデータなんて取れないんだけど。
でも、不登校経験者がみんな転落人生って、極論すぎません?
普通にそんなはずないと思うんだけど。
なぜ最悪の想定をして、それが正しいと思い込んでしまうのか、その『理屈』が知りたいんだよなー。
親の経済的にも、時間的にも、技量的にも、気持ち的にも⋅⋅ 今の高校で体験出来ている事を、親だけで子どもに提供してやれません。
この方とかは(詳細は載せなかったですが)、お子さん本人に「大学に行きたい」という目標があったそうです。
本人の意思で休みながらでも登校を継続しており、それはもう素晴らしいことです。
不登校ダメ派とは状況が違うかと。
他にもいくつか「うちはこういう理由で登校を続けています」という意見をいただきました。(ありがとうございます)
「取れる選択肢を天秤にかけまくった結果、登校継続を選ぶのがベストと判断し、本人も納得している」というのは全然否定しません。むしろ全力で肯定したい。それでいいと思う!
そうじゃなくて、「状況とか、そんなの関係ねー! 不登校なんてダメに決まっている! はい、おっぱっぴー!」って人の『理屈』が知りたいんです。
不登校で社会性がないまま社会に出ると浮きます。
私の会社に不登校、出席日数足りず、定時制高校を出た方がいましたが、男性のいる前でナプキンをだしたり、下着が見えても気にしない、人との距離感が近いなど、マナーや暗黙のルールがわからない、他人を気にしないのでフォローするこちらが疲れました。
当事者はよくとも、他人がフォローしなくてはならないからです。社会人になって親や先生がフォローしてくれますか?
ひとりで誰にも関わらない職人業についているなら良いですが、そうでないなら他人がまきこまれます。
少しでも意にそぐわないことがあると気分が落ちていたという理由で無断欠勤をしたり、集団生活で培う常識が欠けていたりして同僚としてフォローする域を越えてきます。
不登校児の家族や先生は社会人になれたという事実だけで判断されていて、他人と関わり、時には理不尽なことや我慢が必要なことがあるということについての考えをみたことがないです。
自分の気分でしたいように他人と関わること。それが不登校賛成派の目標でしょうか。
こういう方については、「不登校だったから社会性がない」のではなく、「社会性がないから不登校になった」という可能性はいかがでしょうか?
僕は圧倒的に後者だと思うのですが。
つまり、「そういう人」だったから不登校になった。
不登校が原因じゃないと思うのですが、どうかしら。
勉強だけなら学校でなくても良いかな?と思う。
でも
家族以外の考えの違う人と関わるのも大切。
だからこれが学校じゃなきゃダメな理由を(以下略)
学校で学べることって、別の場所で学ぶことも不可能じゃないと思うんです。
代わりの経験ができるところが提供されている環境と、そうでない環境がありますよね。それから十分に休むことに付き合うことができる経済的時間的余裕だったり、家族構成だったり、そういう部分が用意できない・・・。だからなるべく学校に行ってほしい・・・。と思ってしまう気がします。
「託児所」だからです。
学校、幼稚園、行かないなら行かなくてもいいです。
でも、他に居場所がありません。フリースクールはとても遠く、一人四万とか。
留守番できない不登校児がいると、親は仕事に行けません。
・たくさんある時間を、結局は上手く使えずに終わるから
・親の私の、経済的、精神的都合
これはあるでしょうね。
不登校児を受け入れる施設や環境は、整っているとは言い難い現状です。
とくに経済面は理解できます。
どこもお高いんだもの。
その場合、「不登校がダメ」なのではなく、「このケースの場合は代わりの居場所が用意できないから学校へ行くのがベター」という解釈でよろしいでしょうか。
「みんなやってるから」
「みんなと同じことができない」のは情けないことだから
みんなが容易くできること(登校)すら出来ない子には、何も出来ない。
↓
耐えることができない。
正しい判断が出来ない。
社会に出て働くことが出来ない。
社会に適合することが出来ない。
このあたりの理屈が僕はちょっとわからないんですよねー。
みんな同じような個性で、同じような能力を持っているという前提に立てば成り立つのは分かるんです。
でも、明らかにベースが違う。
「学校に合わない子」だから不登校になったわけで。
もともとみんなと違う個性・能力の子だから、不登校になるんです。
みんなと違う子がみんなと同じようにできないなんて、至極当然すぎて僕にはちょっと分からない。
無条件の愛情、存在しているだけでよいという肯定、多様性の受け入れ。これらを親から子どもに示してきているなら、学校行ってみたら?ぐらいなら言う。でも、絶対学校へ行けとは言わない。だって、子どもは知識がないだけで、馬鹿でもないし、決定権がないわけでもない。一人の人間だもの。
完全同意です。
≪自分の信じる通りやってごらん。でもな、人と違う生き方はそれなりにしんどいぞ。 何が起きても誰のせいにも出来ないからね。≫ (映画「耳をすませば」より)
完全同意です。
私は採用に関わることもあるのですが、理由に関わらず、「長期間休んでいた」という事実がわかると採用を躊躇してしまいます。特別な配慮なく長く続けてくれる人が欲しいと思ってしまいます。
新卒一括採用が日本のスタンダードで、これに乗れないと正社員で働くことが難しくなってしまうとされています。新卒一括採用では「長期間休んでいた」事は不利になってしまいますから、新卒一括採用しか知らない大多数の日本人にとって、「長期間休んでいた」という履歴書になってしまいそうな不登校がダメとされてしまうのでしょう。しかし、コロナが日本の採用方法に大きく変化をもたらしたようです。金太郎飴集団より異能集団を目指さなければ企業の生き残りはない、と、先日管理職研修を受けてきました。
多数派の意見はAIが代わりに出してくれますからね。
他人と違う事が武器になる時代がコロナによって早めに到来したようです。少数派になれる切符を手に入れた子どもたちの将来が楽しみすぎます。
私は学校教育の仕組みにも不登校を否定してしまう原因はあると思います。
娘が中学生で完全不登校になり、来年は三年生になります。内申がつきません。
という事は行ける高校がかなり限定されてしまいます。昨今、不登校の子が増えているという事で都立のチャレンジスクールなどは倍率も上がっているようです。
昔より選択肢が広がっているものの、やはり学校に通えている子と比較するとかなり不利となります。
小学校を数ヶ月ということなら、何の問題もないと思いますが、
中学なら進学に響くし、
高校を3年間とかですと、つまりは卒業できないということになり、
学歴の問題になってくるように思います。
そうなってくると、だめではないけれど、将来の選択肢は狭くなってしまうかもしれません、
なるほどなー。
進学に不利、採用に不利、それはありますね。
就職の間口を広げることを考えたら、不登校しないほうが絶対的にオトクです。
ただ、不登校しちゃう子の個性を考えると、そういう会社や学校に行かないほうがお互いにwin-winではという思いが個人的にはあります。
毎日出社して決まった仕事をこなすこと、向いていない子が多い気がします。
不登校だった子が高校からフルで出席というのもなかなか厳しいし。
それよりも、臨機応変に自分のペースで動ける学校・職場に狙いを定めた方が、うまくいきそうです。
その子の個性が発揮できそうだし、生産性も上がりそうです。
コツコツ真面目にやる仕事は、コツコツ真面目にできる人にお任せする。
適材適所の考え方が僕は好きです。
不登校経験者に合う職場も絶対にあるはずです。
学校は……確かに倍率は高いですね。
でも、間口は狭くなりますが、だからといって「絶対ムリ」ではないと思います。
だから「絶対ダメ」にはならないかなーと。どうでしょうか。
例えば医学部入試は、僕にとってはスーパー倍率が高くて、スーパー狭き門でした。
チャレンジしちゃダメでした?
不登校に反対派の方は、自分や自分の周りの方が、学歴等で社会的に成功していて、その成功体験が正しい(幸せ)と感じて人生を歩んでおり、幸せの感じ方、満足感をそこで味わえているかと思います。
自分の大切な人(子供)が不登校となり、その考えを押し付けた結果は…体験していない、想像できない、という事かと思います。
これもあるよなーと僕も思います。
全てえp自分基準にしてしまうのはなぜなのでしょうか。
自分の経験の範囲外のことなんて、死ぬほどあります。
むしろ経験外のことだらけです。
自分とは別の人間である子供を、自分の経験の範囲内に押し込める理由が分からないんですよねー。
別の時代を生きる別の人間なのに、同じ理屈が通用するはずないと思うのですが。
体験できない、想像できないのだから、どうするかは本人に委ねるのが吉と思うのですが。(もちろん伴走して一緒に考えるのは素晴らしいし必要なことです)
ダメ、ゼッタイ派の人達の根っこには、「我慢の美学」や「苦労した分だけ成長できる」論がありそうな気がします。私はこれらが大嫌いですが、子供の頃の自分にはこれらの考えがありました。だからこそ嫌悪を感じるのだと思います。
私の親世代、ひと昔前の教師世代の多くには、染み付いて離れない考えではないでしょうか。
図書室にあった、実在の偉人の半生を記した本の中身も、苦労話を美談にした内容がほとんどだった気がします。
これは考え方の違いですねー。
僕は分からないのですが、それが美学だという人の意見を否定する気はないです。
それを美学とするなら確かに「不登校はダメ」ですね。
ただ、不登校なのは大人じゃなくて子供なのにな、子供本人も「我慢は美学」と思っているなら別にいいけど……とか思っちゃう。
国家、通貨、そして学校もフィクション
(岸辺露伴 より)
ほう……興味深い。
確かにフィクションでしょうね。
だったらそこに『理屈』などない。
そして新しいフィクションを作り出すことで、全然別の世界が見える。
そうなのでしょうね。
ちなみにジョジョは未読で。絵がダメで……。拾えなくて申し訳ない。
不登校ダメ絶対派=自分の頭で物事を考え判断する事のできない同調圧力社会にどっぷり浸かってしまった人
よって、論理的に不登校ダメ絶対を説明できる人はいない!が正解の気がします…(苦笑)
身も蓋もない(笑)
でも、これが正解なのでしょうか。
今までの世の中的(社会的に?一般的?普通は?)に学校へ行くことが正しいとされていて、日本ではそっちの意見が大多数だから。
社会の空気が学校へ行くのは当たり前ということを醸成しているから。
日本人の気質、同じが安心ってことじゃないでしょうか。
世間的なイメージに囚われている人が多いからかな?と思ってます。
本音は、”休ませたい。無理はさせたくない!”なんだけど、そんなことしたら村八分にあうとか、後ろ指さされるとか、サーっと人が離れていくとか、本気で思っている。
だって、この日本は”右向け!右!”が当たり前、”世論が一番”みたいな国だもの。
普通から外れる事でいじめられたり、社会から取り残されるくらいなら無理してでも普通の環境にいさせたい!いたい!
そうなのでしょうね。
これについては、なぜ大多数の意見が世の中的に「正しい」とされるのか、なぜ普通だと安心するのか、別記事で僕の考察をアップします。
個人的には、そもそも不登校になった時点で「同じ」じゃない可能性が非常に高いと思うんです(気を悪くされたらすみません。差別や決めつけをする気は一切ありません。)
なぜ学校が合わなかったのか、その子の気質を見極め、「この子は普通じゃない」(学校のシステムに乗れないという意味で)ってことを認めることからしかスタートしないと思うのですよ。
「俺はそれでも学校行ってたんだ」
「みんなそれでも学校行ってるんだ」
ズルい、社会不適合、コミュニケーション能力なし、逃げ、甘え
だと思っていました。
中卒だとまともに職につけないのに不登校とか生きていけない。そんな甘えた人生過ごしてきた人が社会で生きていけないし、認めてもらえない。
私も頑張って登校したのに!って。私の中では、ズルいっていうのが一番強い思いだったかなと思います。
「ズルい」ってやつですね。
不登校って全然ずるくなくて、全然ラクじゃない、むしろ超絶しんどいのは僕のブログの読者さんならお分かりいただけると思います。
不登校になりたての頃は、なんとかして学校へ行かせようと思っていました。
その時の私の気持ちは、やっぱり周りへの世間体がありました。
中高一貫校へ受験して通っていましたので、私立に入ったのに通っていないと噂されるのが怖かったのだと思います。
そして恥ずかしいと思っていました。(息子よ、ごめんね)
不登校をダメと思うのは、親の私がしんどくなるからと思っています。
・周りからあの子は不登校、あそこの親は…と影で言われる恐れ
・家で子供といる(部屋は別)が、心穏やかでない時間を過ごす不安
・自分の時間を取られてしまう
・お昼ご飯の面倒さ
・子供の将来への悲観
・楽を覚えて何もしなくなるのではという不安
・自傷、他害をしてしまうのではという不安
これらは子供が宣言したり思っていることではなく、全て親の私が頭の中で作り出しているものだと思います。この価値観をぶち壊して子どもを受け入れたいのが本音ですが、何にせよ怖いのです。
正直、恥ずかしいと思ってしまいます。
やっぱりそれって世間体なんでしょうね。
私自身も今よく言われてるHSPだと思います。周りの目が気になる。コミュニケーションも苦手だし。こう思われてるんじゃないかとか気にしてます。
「親の不安」ですね。
これは子供の不登校とは分けて考えるべきだと思うのですが、現実問題ここにぶちあたることは多いです。
『理屈』じゃなくて『感情』の話だと解釈しています。
どうして不登校になったのかというその子の今の困難を受け取らないで、
親の心配(不安)を学校に行くための動機付けにしようとする。
こういう親と子のギャップが大きいほど不登校がいけない理屈、学校で得られる色々な機会の意義を見いだせなくなるのかと考えています。
それな。
その通りですよね。
だからこそ↓
親ではなくまわりが不登校を許してくれて支えてくれる人がいるのなら親のフォローもできるだろうけど、絶対ダメだというまわりの意見ばかりなら親のメンタルも維持ができないと思います。
親を支えられるのか、親をフォローすることができるのかでその子どもの生きやすさも変わってくるのかなと感じます!
周りのフォローが重要って話ですよね。
その理屈は理解できます。
ただ、「不登校そのものがダメ! アリエナイ!」って理屈が理解できないんだよなー!
なんか僕のデモデモダッテ大会みたいになってきてしまいましたが、もうしばらくお付き合いいただけますと幸いです。
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義務を果たさず権利だけを受け取るのはいかがなものかと思うので、基本的に不登校は反対です。
のコメントを書いた者です。
先生からの返信を今拝見したのですが義務教育は子供の義務ではなかったのですね、勉強不足ですみません。
では、改めて
学校を休むかわりに自宅や他の場所で本来なら授業を受けているのと同じ時間勉強をするのならありだと思います。
行きたくないから学校には行かず、やりたくないから勉強もせず、ゲームやYouTubeや自分の好きな場所への外出など自分のしたいことだけはすると言うのはダメだと思います。
中2息子が不登校です。
ご自身やご家族が不登校になったことのない方から不登校、全然大丈夫ダヨ!ケンチャナヨ!と言われたとしたら、やっぱりイマイチ安心できません(笑)やはり他人事だから?という気がどうしてもしてしまいます(汗)
人と関わらずに社会で生きていくのはほぼ不可能なので、人と関わる練習を積む学校生活を完全否定することはとてもリスクが大きく、なかなか当事者には難しいと思います。一見人と関わらずに生きれそうな職人や芸術家も顧客とサポートしてくれる人があってこそ。あの草間彌生も学校ちゃんと出てますしね!
学校に全く行かないことを肯定するより、少し休んでも義務教育期間でも留年可能にして無理なく勉強できたり、内申に出席を反映しないようにして、少々休んでも復活しやすい制度にする方が良いように思います。留学してどんな学校でも学期ごとの編入学試験で編入できるとか。そのほうが異能の人材が活きるような。生年による学年、という概念を捨てて、飛び級やお休みによる留年、色々な人材の出入りを認めて欲しいなと。全日制普通高校も通信コースとの併用を増やして行事やクラブだけ学校くるヤツを最初から「普通」として許容するとか。
日本の制度が変わっていくべき時期、という点は同意です。
私は貧困一人親です。
生きてる意味がわかない。
底辺の生活なら死んだほうがマシ。
勉強はイライラするし大嫌い。
バイトできる気がしない。
と息子は言います。
家具は壊され家中穴だらけ…だけど外では大人しい。
せれでも受け入れて見守っていたら動きだしますか?
かよってる児相も児童精神科ももうすぐ年齢でいけなくなります。
私は鬱になり、定年まで働く予定の仕事も辞めてしまいました。
子供のせいで人生が狂いました。早く離れたいです。
話がズレてしまうのですが…不登校の子を持つ経験をしていないと『休む事を許す理由がわからない』、だから理屈が言えるんだと思いました。
私も子供が不登校になるまでは、学校は行くのが当たり前だと思っていたし、不登校初期は皆さんのブログで『休ませる事が大切』っていうのが全然理解できませんでした。何故休む事を許すのか、理由がわかりませんでしたから。
私はみなさんのブログを読み漁り、本を読み漁り、実際、試行錯誤しまくっていくうちに『学校を休む事を許す理由』がわかりました。そこに至るまでには、可愛い愛する娘に対してでも、長く時間がかかってしまいました。暫くは、無理矢理にでも行かせる事が娘には良いとさえ思っていましたから。
きっと理屈を言う方々も、身内に不登校の子が現れて沢山試行錯誤して経験していくうちに不登校を受け入れてくれるようになるんじゃないかなと思いました。
不登校がダメな理屈じゃなくてすみません。
みんなと同じ普通の集団になれないこどもたちって、つまり、自分がある、個性がある、自己主張ができるのか、空気読めずにしちゃうのか。
でも、個性のかたまりだって、いいじゃない。
不登校ダメっていうより、学校が合わないんだから、もう仕方ないと思う。
そういう、人と違う生き方が認められないのは、想像力のなさ、自分と違うことを認めたくない、自分の価値観だけが正しいと思っているんでしょうか?
学校、楽しく通ってくれたら、そりゃ安心だし、親も子も、皆幸せだと思うけど。
いじめっ子もいるだろうし、人と違う子を排除しようとするクラスメイトがいるかもしれない。
お互いを認め合えるような温かいクラスだったら、通えてたかもしれないけど、こればかりはガチャと同じ。
担任ガチャ。クラスメイトガチャ。
不登校なるかならないかは、運だと思う。
辛くても通えてた人は、結局、辛さは不登校になるほどではなかったってことなんじゃないの?
自殺するくらい辛くても、不登校ダメ?
そんなことはないと思う。
障害者や妊婦、子連れ、お年寄り、そして発達の子もみんなが暮らしやすい世の中になるには、やっぱり、自分やみんなと違っても認め合えることだと思う。
みんな違って当たり前。
我慢してると言っても、辛さの加減も人それぞれ。
辛さも幸せも、はかれない。
不登校がダメと主張される方は、知らないことが多い方なのでは?と思います。
予防接種の話、ちょっとP先生の考え方と違う方向からの話になっちゃいますが、私が子供を産んだ20年前は今みたいにたくさんの種類はありませんでした。昔の予防接種の数でも20年間丈夫だったよ、健康だよ、困ってないよ。今はなんでそんな数の接種が必要なの?本当に必要?生まれてすぐのその小さな体に毎月ワクチン入れてそれって本当に必要なの?大丈夫?って率直に思います。
だって、その必要性を知らないから。
知ろうとしてないから。
今までの経験上、そんなに必要ないじゃんって思ってしまう。
でも、知ろうとして色々なことを知っていくとまた考え方が変わるのかもしれない。
不登校ダメ派の方も同じかなと。
将来は自立しなきゃならないじゃん。
自立って 問題解決に向けて自分で試行錯誤しながら乗り越えるもんだよね。
自分だって、嫌なこと辛いことあったけど、逃げずに乗り越えてきたよ。逃げないで良かったと思ってるよ。だからあなたも頑張って!
…意見ってやっぱり、自分の経験がベース。知ろうとしない限り、その考えから先はない。自立には他にも色々な考え方があるなんて想像すらできない。
だからレバーを引いた先が見えなくて真っ暗ならあえて自分からは引かない。
でも、引いた先に明るい未来があるかもしれないと知ることができたならば、勇気が出るかもしれない。
世の中普通や常識は少ーしずつ変化していくんだけど、一度染み付いた当たり前に新しいことや初めてのことを上書きしていくのは、苦労しながら生きてきた人ほど大変な作業なような気がします。もしかしたら知るのが怖いと思うかもしれないですね。
私の母は不登校を選んだ結果が今の8050問題を起こしていると思っています。
娘の不登校を心配して、最近よくテレビでやっているひきこもりの特集を色々と見ています。
今までも何度も母に説明してきましたが、納得していませんでした。でも今は自分から知ろうとしてくれているのでいずれは、不登校を受け入れた方が予後がいいというところにたどり着くと思うのでこれから味方が増えると思うと楽しみです。
今は不登校になると将来が不安という情報量が圧倒的に多いので、不登校を受け入れた方が予後がいいと発信してくれるP先生の存在は本当にありがたいです。
おじいちゃん先生になっても(まだまだ先ですけどね笑)ずっと子供の味方でいてくださいね。これからも楽しみにしています!
乗り遅れましたが。
右向け右!で動いてくれる働き蟻を育成しないといけないから。本当は先生方の中には別のルートで育っても良いよと思っている人も結構いますが(我が子三人不登校なのでオフレコで話してくれる先生もいます)それをOKだと世の中が気付いてしまうと、トップダウンの指示で働いてくれる大多数の人材がいなくなってしまうから。だから、文科省で不登校OKとアナウンスしつつも現場では教室へ戻れるように働きかけをしてますか?と担任は上から聞かれる。
皆がマイペースで働ける世の中になれば良いのにと言ったら、そんなんばっかりになったら社会は終わる。と言われたことがあります。むしろそこから始まると思うのですが。。
個人の生き方を尊重していいということに気付いてしまうと不都合な方々が、不登校ダメ、ゼッタイ。と思わせて置きたいから。そうすると日本人はその空気を読んで、不登校を許すと何か悪い世の中になるらしいぜ→それはマズイ。よく分からないけど、不登校ダメ、ゼッタイ!そう言っとけば間違いない。ということかな。と。
正直、理由まで考えて不登校ダメって言ってる人いないと思います。