早速のコメントありがとうございます。
いくつか返信いたします。
不登校になる、でも行けずに焦りや、学習意欲がでて来る子が、無理に学校に戻る必要があるかないかだと思います。
ASDの傾向が強く、学習意欲もない、コミュニケーションも好きでない小学生息子が不登校ぎみです。発覚したのも小学4年。学習の場、人と接する場が見つからない場合はどうなるか暗闇の中です。学校行かなくていいよとなかなか言えません。苦しいですね。
個々のケースで学校が最適な場合はもちろんあると思います。
息子さんは学校以外の場がみつからないのですね。
ただ、『一般的に』みんなが学校である必要はないと思うのです。
学校以外の場所ではダメな理屈があれば教えていただきたいのです。
学校に行かなくてはいけないのは、人は1人では生きられないからだと考えます。嫌いな人や苦手なことがあったとしても、その事柄と向き合い、解決出来るように工夫したり、時には環境を変えてでも適応していかなければ、果たして大人になった時に自立出来るのでしょうか?例えば、天才的に何かの能力がずば抜けており、将来アーティストやプログラマー、プロ選手やプロ棋士などになれるなら学校なんて行かなくても功績さえ残せば社会で生き残れると思います。しかし、多くの子供はそんなずば抜けた能力はないと思います。
そうなると大人になって自立するためには、働いて賃金を得る必要が出てきます。(生活保護で良いならば別に構いませんが…)基本的に最初から生活保護を目指すのはおかしな話です。生活保護は必ず貰える保証もありません。果たして義務教育過程すら終了出来ない人に幸せな未来はあるのでしょうか?日本から出てしまえば良いのかもしれませんが、日本で生きていくならばアルバイトするにしても履歴書が必要ですし、アルバイトするにしても人間関係は付き物です。学校という集団生活の場で人間関係を学ばずして、どうやって社会で自立するのでしょうか?
おっしゃることは非常によくわかります。
人は一人では生きていけないから、コミュニケーションを学ぶ必要がある。
それは大賛成なのですが、その場が学校でなければいけない理由はなぜなのでしょうか。
習い事や趣味の集まり、地域のコミュニティー、適応指導教室やフリースクールではなぜダメなのでしょうか。
学校に行けないと生活保護になるというのは、いささか暴論かと。
学校で学べないなら別の場所で学ぶという選択肢は、なぜダメなのでしょうか。
ちなみに義務教育は1日も出席しなくても卒業できるので、履歴書は問題ありません。
義務を果たさず権利だけを受け取るのはいかがなものかと思うので、基本的に不登校は反対です。
そうそう、そういった『理屈』が聞きたかったのです。
ありがとうございます。
ただ、お言葉を返すようで申し訳ないのですが、子供に教育を受ける義務はありません。
教育の場を用意する義務が、地方自治体と親にあります。
その場を用意しているにもかかわらず子供が行かないだけなので、みんな義務は果たしています。
「不登校は学校に行けない正当な事由」として文科省も明記しております。
子供に義務はないんです。
旦那は反対派。
「ただの怠けだ!」「将来どうするだ!」「嫌な事の1つ2つ誰にだってある!」
色々言いますが、見てると彼自身の世間体の問題だと思います。
周りやご近所さんからの目が気になるんでしょうね。
旦那の地元で生活している為、同級生の子供も同じ学校にいます。なので余計に気になるんだと思います。
夫を見ていて思ったことなので、正確ではないかもしれません。
「俺だって嫌々学校に行っていたのに、この子が行かなくても許されるなんてズルい」
…夫の場合は、これに尽きていた気がします。
つまるところ、学校は多くの人にとって、楽しい場所じゃないのかも。
私は反対派ではないので、あくまでも想像ですが。「あそこの子は学校に行っていない」と言われる事で、親である自分が傷つくから・・という理由もあるのではないかな、と思います。
うちの子が登校を渋って付き添い登校していた時に、「そんな子聞いたことない」というような言葉をよその保護者からかけられて、相当傷つきました。もう10年くらい前ですが、しつこく根に持っています。周囲からの発言や、「噂されてるんじゃないかな」という想像(実際はされてないかもだけど)は、自分が弱っている時にはかなり辛いもんがあります・・・。私は幸い、励まして支えてくれる人がたくさんいたので、「不登校、それはそれで仕方ない派(賛成とまでは言えない・・心が弱いので)」ですが、周囲にそういう理解者がいない状態なら、自分を楽にして欲しいために登校を強いたかもしれません。
結局ここが多いんですかねー。
『親が』不安だから、『親が』傷つくから。
子供じゃなくて、親御さん(や大人たち)が主役になっちゃってるのかなーと。
親御さんは、そりゃフツーに登校してくれたほうが安心ですものね。
それなら、不登校がなぜダメかは『理屈』じゃなくて『感情』ってことですかね。
(子供が不登校になってるのに親の意見が優先される『理屈』はないですものね。子供の人生は子供が主役、子供のものなので)
ちなみに「みんな行ってるから」という同調圧力、「みんなと同じが安心」という意見。
いくつかいただいております。
それは大きいのだと僕も考えました。
これについて、じゃあなぜ『みんなと同じ』『普通』じゃなきゃいけないのか。
僕の考察を次回アップしたいと思います。
引き続き、不登校がダメな『理屈』がわかる方がいらっしゃいましたらコメントいただけると嬉しいです。
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投稿けされちゃうんですね。
心がザワザワします。
コメント長くなりそうなので、投稿に迷いましたが、何だかモヤっとが続くのでコメントしました。(的外れだったらすみません)
現在小学5年生男子の不登校ママです。コロナ休校明けは、学校が楽しみで行けてましたが、7月からパタリと行けなくなりました。2年生の時も2学期途中から行き渋りありでした。3年生から突然ひとりで登校できるようななりました。元々友達も多く遊ぶのが大好きで、放課後は時間があれば友達と遊ぶタイプでした。
2年生の時、朝、学校行きたいけど行けないとポロポロ泣くようになって、私はかなり動揺しました。当時は不登校ダメ、絶対派だったので。まさかうちの子が!?と。そして、学校は教育のプロだからと学校に頼った私は、3日休んだらもう来れなくなるよと言われて、泣きまくる我が子を引っ張って連れていきました。最悪でした。先生数人で我が子を羽交い締めにして、走って逃げないようにして。先生は、この子は学校に来れなくなるような子ではないのでとか言われ。
もう、そこで我が子の学校に対する信頼はゼロっていうか、マイナスですよね。今になって聞くと、すごく嫌だったと。
で、付き添い登校してた時、学校の様子を見て、ベテラン教師の古い教育の指導を、若い先生がうけているんですから、時代がこんなに変わってるのに平成初期の学校と変わってないっておかしいぞ、と思いました。
不登校ダメだった頃の私は、不登校について全くの無知で、不登校の子の気持ちを全く考えたこともないくせに、不登校=社会不適応者っていう偏見があったんですよね。最低です。
私は、我が子は強く育ってもらいたいと、すぐに諦めない、甘えない、ぐずぐずしないようにと育ててきました。が、我が子には苦痛でしかたなかったんです。
サッカーも自分からやりたいと言い、社交的だった我が子。ただ、繊細で優しくて学校が疲れる場でもあることに気づきました(おそらくHSC)。
今回がっつり不登校になり、不登校について理解した今、勉強も無理矢理やらせていません。まだそこまでエネルギーがたまっていないので。
本人または世の中の不登校児は分かっているんです。学校に行く必要性もゲームばかりしてはいけない理由も勉強しないといけないことも。でも行けない。仕方ないんです。不登校を選択した本人は罪悪感だらけです。そこを周りが責めたら、誰を信頼して生きればいいのか。引きこもる一方です。
不登校って、子どもも親もすごく疲れます。そこを世の中の方に現状を知ってもらって、不登校児との正しい接し方、理解をして頂きたいです。
長い人生、苦しくて学校に行けないのなら休めばいい。それが本人が選んだ道。自分を押し殺してまで登校し社会人で倒れるなら、不登校を自分について考えるチャンスにすればいい。私は不登校肯定派です。
P先生こんにちは!
私も不登校は全然あり派です。
ただ、ちょっと絶対に学校行きなさい勢の気持ちも想像してみたのでコメントしてみました。
昨日の「経団連がマイナンバーに小学校の成績を紐付けたいと言っている」っていうニュースに対して、「経団連が子育てや教育が社会で働く人材育成という目的を据えていることに違和感がある」という意見を見ました。
経団連的には、大学だけでなく小学校や中学校も就職予備校という感覚なんですかね…
学校が就職予備校だと考えると、不登校になると会社に出社できないまずい人材だと感じますよね。
実際に、会社とか組織で急に来なくなってしまう人がいると、毎日真面目に出社してる人達で仕事を被ってあげたり、籍が残ってると人は増やせない状況だったりで、みんな余裕が無くなります。
おそらく絶対に学校行きなさい勢のお父さん達は、来られない状況の社員のフォローをしたりしながら、思うところがあるのではないかなと思います。
不登校=就職予備校に行けない=使えない人材…いやうちの子は違う!ちゃんと行ける!出社して仕事できる!そんな子じゃない!みたいな…?
だから、それだけ絶対に学校行きなさい勢のお父さん達は社会で頑張ってるという事なのかもしれないです。
私はみんなが新卒採用で稼げる会社員を目指す必要はないと思うので、もし学校に行けなかったとしても、本人が続けられる仕事やライフスタイルをみつけられればいいなと思うし、働き方の多様性が認められる社会になるといいなと思います。学びについても学校以外でも大人になってからでもいいと思います。
子供の成長を使える人材の育成だなんて、夢のない世の中嫌だな~と思ってます。
でも思ってても理想と現実は違って、理想を叶えられるほどうちにはお金もないし…、自分も子供達にどこまで寄り添えるのか心配になります…。でも頑張ります!
初めてコメントします。
うちの娘も不登校もうすぐ一年目です。
私は不登校肯定派なのか、否定派なのかもわかりません。
正直、恥ずかしいと思ってしまいます。
やっぱりそれって世間体なんでしょうね。
私自身も今よく言われてるHSPだと思います。周りの目が気になる。コミュニケーションも苦手だし。こう思われてるんじゃないかとか気にしてます。
娘に対しては、学校なんて行きたくなきゃ行かなくていいし、今わざわざ通級とか適応指導教室とか、放課後登校とか頑張ってるけどストレスだよね〜と思ってしまってます。
でもどこかで学校に行って欲しいと思ってるんだと思います。
それはやっぱり世間体なんだろうなって、自分自身も嫌になります。
理屈はよくわかりませんが、いつも先生のブログ読ませていただいてるのでコメントしてみました。
ありがとうございます。
日本人の気質、同じが安心ってことじゃないでしょうか。
外国にはそもそも不登校の概念がないと知り驚きました。
学校に行くのが大前提の日本社会。私も含め不登校から社会に出て行く方法を大多数が知らない。
社会で仕事ができない人=学生時代問題のある人=不登校や発達障害に該当する確率が高く、我が子にはこうなってほしくないと思うから。
要は、子育てしてる側の大人が不登校を知らない(経験していない)からだと思います。
私も甘えてる、逃げてると思ってましたが、実際、不登校に娘がなり、こんなにも辛いものなのかと…
経験に勝るもの無し、反対派の人たちは、幸せな人たちだなと思いますよ。
登校してたって、問題児や社会不適合者はいるのに、何でもかんでも不登校を理由にしてほしくないですね。
不登校、やれるもんならやってみろ!です^ - ^
いつも頷きながら読ませて貰っています(^^)
先生が鬼滅の感想書かれていたことも後押しされ、先日アニメ漫画本観て読んでから既に観てきた子ども達と主人と行き、わたしが一番号泣してハマってしまいましたw
ちなみにわたしは去年から子どもが2人、転校してから最初頑張っていましたが、足が遠のき完全不登校です笑。
学校行けない事でわたしが子ども達に思うのは、良き友人と出会えるチャンス、やはり機会を逃してるんじゃないかとずっとそこは考えてしまいますね。勉強はいくらでも取り戻せると思ってますし実際週一で家庭教師の先生に教えてもらい、宿題もやりヤル気はあります。
先生の前回のブログのコメント📝に未来永劫云々書いたのはわたしです笑、アレは先生にではなくわたしの上のコメントされた方に返信したものです、念のため😂
わたしは子どもは親の所有物でもなければ、一人の人格者なので、今起きてることは子どもが乗り越えていかなければいけない事だから、親が出来ることは先生がいつも言われてること、そして信じ抜く事だと思っています。
義務教育を受けないと自立できないとか、社会に適応しないとか…そんなこと言う人って未来分かるの?って笑。
明日のことさえよっぽどの予知能力がある人じゃなきゃわからないよね?
なんで決めつけで言う人が多いこと…つまらない視野の狭いかったい想像力が欠けてるなっていつも思います。昭和の年配の世代はそう教育されたことが定着してるから、学校行かない事が悪いことみたいに思うことは仕方ないって諦めてますが笑。
学校を卒業して社会に出る以外の道を知らないから、ではないかと思います。
親は子供の自立をゴールに設定しがちなので、社会のレールから外れてしまうのが、心配で不安。
今の時代、普通に生活していくだけでも大変なのに、不登校になっちゃって、その後どうやって生きていくの?と。
学校以外を通る道を知らないし、身近に成功例がないから拒否ってしまうのではないでしょうか。
世の中の需要(就職とか恋愛とか)が1番多いのが普通であることなので、なんとかそこにねじ込んでおきたい、的な。
…的外れだったらすみません。
もし子供が不登校になったら思いそうな事を想像で書いてみました。
私は反対派じゃないですヨ、念のため。
私は不登校肯定派です。なりたての頃はダメ、絶対!でした。社会で生活していくのに、学校に行くことは最低ラインだと思っていたからです。学校に行けなければ、この先生活していけないとしか思えなかったのです。当時は、他の世界を知らなかった、長い人生、学校に行ってもどこかで躓くと先生が仰っていたことで、ハッとしました。娘の不登校で、私の世界が広がりました。娘の人生にとって、不登校が必要だったけど、私の人生にも必要だったんだと思えるようになってから、不登校は肯定派です!こんな生き方もあるよってみんなに言いたいくらいです!
今までの世の中的(社会的に?一般的?普通は?)に学校へ行くことが正しいとされていて、日本ではそっちの意見が大多数だから。
社会の空気が学校へ行くのは当たり前ということを醸成しているから。
で、どうでしょうか?
私は空気を読まないし(吸うから)正しいと言われていることは疑ってかかる捻くれ者なので、上記は私が考えてみた屁理屈です。
学校へ行かない人口がもっと増えて、行く人の人数と逆転したら、学校へ行く『理屈』が議論されるのかしら(笑)うーむ、どっちの『理屈』も難しい
不登校ダメ絶対派=自分の頭で物事を考え判断する事のできない同調圧力社会にどっぷり浸かってしまった人
よって、論理的に不登校ダメ絶対を説明できる人はいない!が正解の気がします…(苦笑)