クラスに5〜6人くらいいません?
うちの子も落ち着きがないけど、もっと落ち着かない子もいて。
引きずられて授業中に喋っちゃうみたいなんです
発達障害は増えているのだろうか。
統計でみると、ここ数十年でかなり増えているようだ。
肌感覚的にもそんな気がする。
なぜか。
発達障害は生まれ持ったもので、後天的に発症する疾患ではない。
それも違うだろう。
たかだか1〜2世代の添加物摂取で、遺伝的な疾患が急増するとは考えづらい。
ではなぜか。
発達障害の頻度は変わっていないのだと、僕は思う。
今まで気づかれなかった人が、診断されるようになっただけだろう。
昭和の時代だと「変わった子」で済んでいたのが、発達障害という概念が広く知られるようになり、「この子は発達障害ではないかしら」と疑われるようになった。
今までゲンコツで済まされていた子が、親も教師も『そういう目』で見るようになった。
必然的に診断される子が増える。
だから、増えているように見える。
診断まで至らずとも、クラスで落ち着かない子や話の通じない子を見たら、「発達障害かな」と思う大人が増えた。
意識すると、今まで埋もれていた子がよく見えてくる。
そんなところだと思う。
これは良いことだと、僕は思う。
自分自身の話で恐縮だが、僕が子供の頃(平成初期くらいか)は、『みんな一緒』という同調圧力がとても強かったように思う。
みんな同じで当たり前。
給食は完食するまで遊べないし、最後の1人がさかあがりできるまで班の全員が居残りで応援。
同じテレビ番組を見ていないと話題に入れないし、同じゲームを持っていないと仲間はずれにされた。
同じ制服、指定の靴や鞄、同じ髪の色……。
嫌だった。
僕はうまく馴染めないタイプの子供だった。
今にして思うと自閉症であろうクラスメイトが、集団行動できずに先生に怒鳴られ、殴られ、泣いて出て行ってしまったことを覚えている。
なぜ同じにできないといけないのだろうと、子供心に不思議で、不満だった。
今はそのようなことはない。
発達障害という概念が浸透し、その子に合った教育をしようとする環境が、学校にある。
少なくともそのような姿勢はあるだろう。(ポーズだけでも)
とても良いことだと思う。
昭和の時代のような扱いを受けて、心に傷を残すくらいなら、早々に発達障害の診断をつけて配慮してもらう方が、ずっとよい。
近い将来、「発達障害」なんて診断がなくても、個々の特性を配慮するのが普通の時代が来るとよい。
人はみんな違って普通。
別の人なんだから接し方を変えて当たり前。
そんな時代が来ると、今度は「発達障害」は減っていくのだろう。
それは定型発達の子にも生きやすい世界だと思う。
発達障害なんて区別をしなくても、それぞれが尊重される社会を願っている。