なんとか克服させたいんですけど……。
この手の相談はとても多い。
〇〇の部分は、運動だったり友達付き合いだったり生活リズムだったりといった大きなことから、漢字が書けない、じっとしていられない、分数の割り算ができない、果てはセミが苦手で外出できないといったニッチなものまで実に様々。
我が子がつまずかないように、先回りして手を打ちたい。
その親心は非常によく分かる。
でも、その行き着く先。
満遍なくなんでもこなす人って、そんなに価値がある?
本当に生きやすい?
全然そんなことないと思うよ、というのが今日の話。
小学生の頃限定の話だが、僕は割と万能型なタイプだった。
勉強は結構なんでもできた。
運動も、生まれた月齢が早めだったので、そこそこ身体が大きく、足もそこそこ速かった。
図工も音楽も、得意ではないが苦手でもなかった。
友達関係も、すごーく仲良しの子はいないが、誰とでもそれなりに会話できた。
せっかちだったので作業が早く、学校でも家でも特に困らなかった。(支度とか課題とか)
どうです? こんな小学生。
理想的ですか?
でも、僕自身はそんな自分にコンプレックスを抱いていた。
なんでもできるって、裏を返せば何もないってことだ。
勉強は出来ても、すごく興味を持って取り組める教科はない。(理科に興味を持つのは中学生以降)
「算数博士」みたいな一点特化型の子に憧れた。
運動も、クラスで5番目に足が速い程度ではリレーの選手にはなれない。
体育では無双できるクラスメートって必ずいて、小学生の頃そういう子はヒーローだ。
友達も、なんとなく遊べる子はたくさんいるけど、「二人組を作ってー」となると一人余りがち。
先生と組む組体操のせつなさよ、グループ学習の辛さよ。
日常生活でも、親が心配して手取り足取り見てくれる子が羨ましかった。
僕はなんとなくこなせてしまうので、母のネグレクトに拍車がかかったような気がしている。
何もない自分。
「苦手なこと」すらない。
それを努力で乗り越えたり、誰かが応援して寄り添ってくれた経験もない。
圧倒的な「なんか足りない感じ」を抱えていた。
実際の僕は万能なんかじゃ全然なくて、欠けた部分が死ぬほどあることが露呈し、自分像が瓦解していくのが中学生くらいなんだけど。
万能型って、周囲から見ると接しづらい部分、ないですか?
例えば出来杉くんに何かを頼もうと思っても、何をお願いすればいいのか具体的に出てこない。
のび太なら動物の世話、ジャイアンなら力仕事とか、特化した部分のある人の方が接しやすくない?
4泳法をそこそここなす人より、平泳ぎしか出来ないけどずば抜けて速い人の方が表彰台に近いですよね。
赤魔道士(黒魔法も白魔法も使えるけど中途半端)、使いづらくない?
キマリ、使わないですよね?(FF10の、攻撃役にも回復役にも魔法使いにも育成できるキャラ。でも選択肢が多すぎて超絶使いづらい) (キマリは通さない)
実生活でも、万能型って評価されづらいと思う。
「アレもコレもなんでもやります!」って人より、「この分野なら任せて!」って人の方が重宝されやすい。
このブログだって発達系の内容に特化してるから興味のある人が読んでくれるのであって。
がん、高血圧、未熟児、骨折、白血病、不妊治療、副鼻腔炎、レーザー脱毛、静脈麻酔、薬学、認知症、なんでもござれ! って内容だったら需要ないと思う。
何でもできるって、つまり何もできないってこと。
もちろん例外はあるが、多くの状況で評価されづらいことを知っておいてほしい。
幸い今日の日本は社会的で文化的。
困ったことは人に頼ればいいし、グループで得意なことを分担して何かを行なっている組織が大半だと思う。
加えてネット環境が発達しており、得意な部分をだけを請け負うハードルがかなり下がっている。
できなくていい。
できることだけやればいいと思う。
僕はこの年齢になり、単純作業を粛々とこなしたり、営業でゴリゴリ物を売ったりするのは超絶向いていないと自覚している。
じゃあそのような「絶対ムリ」を排除し、残ったものは何か?
今ある状況から原因を推測したり、今後を予想するのは結構好きだ。
それが数字で割り切れない精神・心の分野であってもさほど苦にならない。
つまり今の仕事は結構向いていると思う。
そしてこのスキルは誰にでもあるものではないので、自分の存在価値がそこにあることも分かっている。(以前も書いたがこの分野に手を出したがらない医者は多い。しんどくなっちゃうんだよね。)
また、作文も好き。
考えたことをまとめて文章化してアップする、ブログ書きの作業も性に合っていると思う。
こういった「売り」を受けて、患者さんや読者さんが集まってくれているものと理解している。
がん、高血圧、未熟児、骨折、白血病、不妊治療、副鼻腔炎、レーザー脱毛、静脈麻酔、薬学、認知症、なんでもござれ! の医者、信頼できないし需要ないと思う。(もちろん例外はある。情報発信の仕事とか。)
このように特化したものを押し出している今の自分は、「万能キャラ」だったあの頃と比して格段に生きやすく、評価されやすくなっていると感じる。
できなくていいよ。
目の前にできないことがあったら、不安になる気持ちは分かる。
でも、解決したところで解決しない。
万能型になっても、不安や不満はついて回る。
それよりも苦手は苦手として受け入れるほうがいい。
「〇〇はできない、じゃあ△△の方がマシかな」
そんな自己分析を積み上げることが、学生時代にできる自己投資の最たる物だと僕は思っている。
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いつも楽しく拝読させて頂いてます。
キマリ=ロンゾ(きまりと入力しただけで、キマリ=ロンゾと予測変換されました……
わたしはキマリ好きです。
確かに選択肢が多いですね…。
キマリは通さない。
懐かしくて、ニヤニヤしました。
すごくどーでもいいコメントで、本当にすみません……
キマリ、どうやって成長させたらいいか迷うんですよね。
その時不在のメンバーのタイプに育てると、オリジナルが戻ってきたら完全に不要になってしまう。
難しいんですよ。
僕にはうまい使い方がわからず、「キマリは通さない」になってます(笑)
先生のブログを読むたびに、子育てでなんとなく感じていた不安やモヤモヤの正体が分かってスッキリします。ためになる記事をいつもありがとうございます。
私自身がまさに器用貧乏、無駄に万能なタイプです。学生時代、社会人になってからも、溢れる個性を目にしては、自分のつまらなさがほとほと嫌になったものです。今は開き直って、子供の学校の役員でも町内会でもパートでも「仕事覚えるのが早い便利なおばちゃん」として生きています。刺身で言うならツマ、陵南でいうなら仙道じゃなくて魚住です。オレはチームの主役じゃなくていい!
長男がやはり無駄に万能タイプ。私みたいに劣等感に苛まれることがあるのかなーと勝手に不安になることもありますが、とにかく自己肯定感第一で育てます。逆に次男はADHD診断済みの輝く個性の持ち主。こちらはこちらで輝ける場所にたどり着けるのかと不安を感じますが、何はなくても自己肯定感!「できなくていいよ」を忘れずに、「できること」を伸ばすことを第一に考えたいと思います。
器用貧乏、無駄に万能、よくわかります。
光り輝く仙道を前に、無力感を感じるんですよね。
魚住はデカいという個性があるからまだいいけど……。
3Pの入らない神、みたいな無力感があります。
万能型として、うまく隙間を見つけて生きていくのも立派な戦略だと僕は思います。
P先生
いつも素敵なお話、ありがとうございます!
大人になった今でも、私にとっての特別なしたい事って何だろう、、、と思いながらママチャリこいでました~
少し冷たい風が気持良い、水曜日でした:-)
いつも参考にさせていただいています。
うちの小5の息子も、まさに先生の子どもの頃と同じ(元)万能型小学生です。勉強、スポーツ、芸術、わりとどんな分野でも器用にこなし、良くできる。そのため親や周りに期待され、本人もプライドが高くなる。ところが5年生になり、コロナ休校明けに皆の前で漢字の誤りを指摘されたことをきっかけにポッキリと心が折れ、不登校になりました。あまり努力した経験がないから、(周りからは成功しているように思われていても)本人は成功体験を持っていないし、全く自信がないんです。不登校になってから、「僕は何も得意なことがない‥」が口ぐせです。
親としても、子どもが色々なことを上手くやるたびに、その結果に一喜一憂してきたこと‥反省しています。ありのままでいい。むしろ苦手なことを認めてこそ得意なことが生きてくるんですね。先生ありがとうございます。
そのようなことがあったのですね。
万能型の子って、折れるときはポッキリいく実感、僕にもあります。
勉強でつまずくと「自分には何もない」と思う。
他のこともまあまあできるのに、自信が全然ないんですよね。