かれこれ3年ほど不登校の子。
「学校は行かない」と自分で決め、自宅で楽しく過ごしている。
特に問題ないと僕は思うが、散歩がてら月1回の受診を続けている。(外に出る機会がまったくなく運動不足になってしまうのと、家族以外と会話する機会を設ける目的)
その子の上記発言。
高校受験が視野に入ってくる学年となり、「高校には行きたいけど、勉強する意味はわからない」という話題になった。
『なぜ勉強するか』
大きな命題だ。
この子自身はまだ納得いく答えを見つけておらず、じゃあなぜ高校に行きたいのかという明確な理由も分からず、逡巡しているところ。
大いに悩んでいただければ良いと思うのだけれど。
誰でも一度は考えますよね。
なぜ勉強するのか。
学校で習ったことなんて大人になったら使わないのになぜ?
答えはない。
それぞれがそれぞれの考えを持てばいいと思うのだけど。
でもせっかくなので、僕の考えを書いてみる。
僕は2つの理由から勉強したほうが良いと思っている。
あ、ちなみに小中学校の義務教育の内容についてです。
「自分で興味を持って自発的にする勉強」じゃなくて、「学校でやらされる勉強」です。
この2つ。
分かってる!
使わないよね分かってる!
僕も使わない。
義務教育で習ったことなんて、9割方使わない。
僕だってすでに忘却の彼方。正直さっぱり覚えてない。
それは分かってるし、みなさんも同様だと思う。
でもね。
でもたまに、ホントにたま〜に使う知識がある。
どんな知識?
「興味をもってしっかり理解した分野の知識」だ。
僕は理科が好きだった。
宇宙、星、分子、時間、光、気象……。
中学生の頃、図書館で借りたニュートンという科学雑誌にハマり、読み耽っていた。(イヤな中学生) (だから友達いねーんだよ)
だから理科の授業で習った内容が自分の疑問とぴったり一致したときはすごく感動したのをよく覚えている。
で。
この時に習った内容は、今でも実生活で使うことがある。
「今日の天気予報は晴れだったのに、曇りじゃん」
「知ってる? 雲の量が空の8割以下だと晴れなんだよ。
今日は雲が7〜8割くらいだから、晴れで合ってるんだよ(ドヤッ)」
季節による日照時間の長さとか、電車とベルヌーイの定理とか、てこの原理とか、食品が腐りにくい条件とか、くじやパチンコの期待値とか、マイナスイオンと電離とか、光の屈折、作用反作用……
まぁ、そんなようなことを日常生活で考えることはある。(高校の範囲が結構あるな)
そして書き出してみると内容気持ち悪ッ!
そりゃ友達いないわ。
林修先生も、彼は現代文の先生だけど、確率とか座標軸(X軸とY軸のヤツ)の考え方を日常生活でよく使うとおっしゃっていた気がする。今でしょ。
つまり、しっかり理解して自分のものになった知識や考え方は、日常生活に応用できる。
それは真実だと思う。
だから「こんな知識絶対に使わない!」ってことはないと思う。
反対に、自分のものにできなかった知識。
これは使わない。ってゆーか使おうにも使えない。
僕は社会が大嫌いでして。
まー使わない。
歴史と地理な。マジでわからん。
平安時代って室町時代? ってレベル。いとをかし。
でも、歴史をしっかり自分のものとして理解し、過去の教訓から現在を、そして未来を考えられる人たちがいることも知ってる。
僕の場合、学校で習った内容のうち使えないものが9割以上。
実際に使っていない内容がほとんどだ。
だから、『将来使うかもしれないからとりあえず勉強しておきなさい』とは言えない。
9割以上使わない知識なのに、効率が悪いもの。
僕が勉強をお勧めする理由はコッチ。
先日、こんなことがあった。
外来で母と話し込んでいると、横でお絵かきをしていた子供にふいに声をかけられた。
「せんせー! キイロって漢字でどう書くの?」
「キイロ? キイロなんてもう習ったの?」
「うん! 習ったんだけど忘れちゃった!」
急にそう言われると書けるか不安になる。
キイロなんて最後に手書きしたのいつだ? 今はパソコンだもの(言い訳)。
しかも2年生でもう習ったって。
医者です! 学歴のゴンゲです! みたいな顔して、キイロが書けないとかありえないでしょ。今でしょ。
こんな社長椅子みたいな椅子に座って……。
前から思ってたんだけど、患者さん用は丸椅子とかパイプ椅子なのに、なんで医者はフカフカの社長椅子なのか。
お母さん、こっちを見てる。
ここでキイロって書けなかったら、僕の信用は地に落ちる……。
キイロ、キイロ……キイロがゲシュタルト崩壊してきた。
手をプルプルさせながら、なんとか書いて事なきを得たわけだ。
あぶねーあぶねー嫌な汗かいたわ。
一般社会において、義務教育の学習内容は当然みんな知っているものという共通認識がある。
それを全く知らないと「なにコイツ?」と思われること必至。
「三権分立? それなんだっけググろう」は許されても、「三権分立ナニソレオイシイノ?」は許されない。
特にビジネスシーンでは顕著だ。
商談中、漢字が全然書けない相手、一般的な話が通じない相手と契約を結ぼうと思う人は少ないはずだ。
人間関係を円滑にするというか、同じ土俵で会話をするために、一般教養は重要だと思う。
必須とまでは言わないが、それなしで信頼を勝ち得るのはかなり難易度が高いだろう。
すげーカリスマ性とかあれば別だけど、そうじゃない人が多いでしょ?
だから、「ある程度」の勉強を僕はおすすめしている。
「ある程度」って「どの程度」?
その子がどの程度のコミュニティーで生きていくかに左右される。
たくさんの人と接するなら(特に仕事で)、それなりに勉強しておく必要があると思う。
ほとんど人と接さずに生きていく前提なら(受注だけしたらあとは一人で完遂できる仕事とか)あまり気にしなくてもよさそうだ。
※そして今はネットで起業とかできる時代だから、工夫すればやり方はいくらでもあると思う。
勉強って「人の輪の中で生きていくために使う道具(特に仕事で)」だと僕は思っている。
「なんで勉強しなきゃいけないの?」
この質問が出たら、じゃああなたはどのくらいの規模の社会で、どのくらい人とコミュニケーションを取って生きていきたい?(特に仕事で) と考えさせるいい機会なんじゃないかなーと個人的に思っている。
あくまで個人的にです。
勉強の意義なんて、人の数だけあると思います。
でも何かしらの意味付けはあった方が、勉強に対するモチベーションが上がるんじゃないかなーと思っています。
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昼間3時に起きてきた中3息子とタイミングよく先生のブログについて、高校受験とまさしく勉強の意義について語り合いました。
興味の対象を追求していく上でも基本になる
一般常識、必要ですよね。
中1迄は行っているので、夜、中1妹の数学をとても丁寧に教えてくれていました。
君なら大丈夫!根拠はありませんがそう信じている母なのです。
優しい息子さんですね。
絶対大丈夫ですよ!
私は、よくある疑問の「なぜ勉強するのか?」には、常々「考える力を養うため」と思っています。
よく勉強する子は、考える事にたくさん時間を使っている。
成績の良い子は、問題を解くために試行錯誤して、そして結果まで出せる力がある。
その力を養うための勉強だと思っています。
東大王などの東大生を見ていると、自分が間違えた問題には必ずとことん調べて正解を必ず導き出して身に着けています。
大人なって数多くぶち当たる困難に自分で解決する力を身に着けるための勉強だと思っています。
知識も教養も大事ですが、その前に考える力と自己解決能力を身に着ける事が大事だと思っています。
P先生、こんばんは。いつも気づきのあるブログをありがとうございます。
自閉スペクトラムの3歳児を育てています、知的な部分の障害はまだよくわかりませんが、コミュニケーションの力が弱いと指摘を受けており、人には興味をあまり示さないけど好きなモノはとことんいじって調べて離さないこだわり屋さんです。
我が子に発達障害はあれど生きる力は身につけさせてあげたいと試行錯誤の毎日です。
そんな私が、いつか我が子になんで勉強するの?と聞かれたら、「キミその好きなモノは、誰かが一生けん命勉強して、考えて、体を使って作ったからキミの手にあるんだよ。」って答えるかもしれないです笑
更にわかんないって言われたら更に一緒になって考えます笑
また楽しいブログを書いてください♪
そうですね、その目の前のモノも誰かが作ったんですものね。
自閉スペクトラムは人に興味が薄いですが物にはこだわるので、そこを窓口に、その向こうに人がいることを教えるってすごくいいですね!