Categories: 親子関係

子供との距離感と、母子分離不安

子供とどのくらいの距離感で接するのが最善か?

3歳児神話など、議論される機会も増えていると思う。

3歳児神話とは:

3歳までは母親が育児に専念すべき。

仕事などで母子が離れると、その後の発達に悪い影響がある。

 

肯定的な意見も否定的な意見もあると思う。

でも個人的には否定的に考えている。

否定的というか、「その子にとって必要な時期に手をかけてあげてほしい」と思っている。

 

  1. 乳児はしっかり肌を離すな
  2. 幼児は肌を離せ、手を離すな
  3. 少年は手を離せ、目を離すな
  4. 青年は目を離せ、心を離すな

 

これな。

誰が言ったか知らないけど、的を得ていると思う。

基本的にはこれなんだけど。

 

でも、個人差が結構あるように思う。

乳児期に手がかからず、大きくなってからべったりという話もよく聞く。

その子にとって必要なタイミングで目と手をかけてあげてほしい。

 

 

乳幼児期(3歳児神話ってどのくらい気にする?)

乳児期は、母と離すと大泣きする。

たとえば1〜2歳くらいで入園させたとき。

普通に泣く。

 

でも子供の適応力はすごい。

ほとんどの子が園生活に適応する。

 

 

日中母と離れていても、家で愛情を注いでくれる親がいればそれでいいと思っている。

ずっとべったり一緒にいる必要はなくて。

特定の人(多くは親)が継続して愛してくれれば、愛着形成できる。

つまり日中保育園に行っていても、夜や休日に親が愛情を注げばそこに確固たる愛着が形成される。

 

実際僕の外来に来る患者さんで、何歳から集団生活(保育園や幼稚園)を開始したかは、その子の問題と関係ないように感じる。

なので、「マジで泣いて泣いて全く母子分離できない。無理やり離すと何時間でも発狂し続ける。」とかじゃない限り、3歳児神話は気にしなくて良いように思う。

 

 

それより一緒にいる時間を、愛情を持って笑顔で過ごしてあげてほしい。(イライラして不安定な母とは愛着形成できないですよね)

母の性格的に、ずっと育児していると息が詰まるという場合は、むしろ保育園に預けて働きに出たほうがいいと僕は思っている。

母の笑顔が増えるなら、それが一番よい。

 

学齢期の母子分離不安

で。

幼児期以降、徐々に親の手を離れてくるわけだけど。

 

 

小学生、中学生くらいになっても母にべったりで離れられない子がいる。

母子分離不安』という。

 

「お母さんと一緒なら学校に行く。一人では行かない」と。

 

 

この子は不安が強い。

『母』という絶対的な安全基地があれば学校というアウェーの場に行くが、なければ行かない! と。

 

なんで?

もう小(中)学生なんだから、一人で学校に行ってよ。

他のお友達は誰もそんなことしてないよ?

 

わかってる。

でもできない。

不安すぎて無理! なのだ。

学校だけじゃなく、受診や買い物、人によっては近所の散歩さえも母が一緒じゃないとイヤ! と。

 

 

どこまで付き合うべきでしょうか。

私もしんどくて……。

 

しばしば聞かれる。

 

 

僕の意見。

付き合ってあげてほしい、でもお母さんに無理のない範囲で。

 

 

この子は不安が強い。

でも、外に出ようとしている。

学校という社会に適応しようとしている。

だけど不安だから、『安全基地』(つまり母)を持っていきたいわけだ。

 

 

このあとどうなるか。

 

『安全基地』を伴っての登校が続くと、そのうち(数ヶ月〜2年くらいか)『安全基地』は不要になる。

一人で通えるようになるのだ。

そもそも不安が強い子なので、みんなと違って自分だけ母と一緒、とか居心地悪いし。

徐々に母がいなくても活動できる範囲が広がり、そのうち完全に不要になる。

 

 

だから、可能な限り帯同してあげてほしいと話している。

※付き添い登校しているのに逆に子の不安が強まる場合は、接し方が間違っている。関係を見直してほしい。

 

お母さんに無理のない範囲で!

でもこれ、あくまで母に無理がない範囲という前提。

ここがキモ。

 

母には母の予定がある。

母には母の人生がある。

それを犠牲にして子に尽くしても、子は安心しないようだ。

 

「母に無理をさせて自分を優先してもらっている。自分は悪い子だ。お母さんごめんなさい……」

と思いながらの通学となる。

 

もともと不安の強い子だ。

これでは不安は解消されない。

 

「なんとかしなきゃ」

「でも一人では不安」

「でもお母さんに来てもらうのも悪い」

「でも……」

 

休まらないようだ。

 

 

加えて、母もイライラする。

 

「本当は予定があったのに」

「仕事にならない」

「自分の時間がまったく取れない!」

 

そんな心理状態で接するので、どうしても子供にきつく当たる。

すると子供は余計不安になる。

 

という悪循環。

 

 

だから、「親御さんがにこやかに帯同できる範囲で」付き添い登校をお願いしている。

本人が望むなら「甘やかしすぎかしら」「親がついていったら逆に恥ずかしいんじゃないかしら」などと思う必要はないだろう。

たとえ中学生でも。

 

無理のない範囲で一緒に登校してあげてください。

 

まとめ

3歳児神話と母子分離不安の話を中心にしたが、他の年齢でも一緒。

その子が望むときが、その子にとって親が必要なとき

 

思春期なのにべったりくっついてくる子とか、結構いますよ。

逆に幼児期でもさほど親を必要としないとか。

 

○歳だから、とかじゃなく、その子に必要な時期にその子に必要な関わりをお願いします。

あ、もちろん親御さんの無理のない範囲で

pediatrician-p

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  •  最近書いた文書で面白と思ったので投稿しておきます。            

    教育と遺伝と三才児神話肯定論  
    私は教育は遺伝プラス幼児期の母の愛情で決まると思います。今まで教育について、田下昌明先生の動物行動学、教育とは6才迄、三才児神話否定論では人間の基礎教育は出来ない、幼稚園と保育園の絵で見る教育の差、と4本書いたのですが、今回は主に遺伝について書いて見ます。我々モンゴロイドは地政学上、人類学上東アジアの人はIQが高い人が多い民族なのです。この事は先祖に感謝すべきだと思いますし、先祖の幼児期の在り方を継承しないと優秀な人は育って来ないと思います。理想は江戸時代の寺小屋制度で7才で初めて親から離れて預ける制度で、この一年預けるのが伸びる事が良いのです。この件で1つ書いて見ますと昭和30年代頃までは幼稚園も保育園も行かずに、いきなり小学校へ入学する子供はかなりの人数がいたのです。その中の子供で情緒不安を訴えて学校へ行くのは嫌がる子とか、学校へ行っても途中で帰ってしまう子は何人かいたのです。今の不登校と違ってまだお母さんと離れない、まだ幼児期なのです。その時の対処法ですが母親がいると安心するので教室の1番後ろに約2カ月位い座って1人で学校へ行けるようになりますが、中には1年半の日々を要したと言う話も聞いています。それだけ日本の赤ちゃんの幼児期は長いのです。日本人は8才位から少年少女期に入るのです。今は三歳で預けてもギャンする子とか、幼稚園へ行きたくないと言う子とか、この事も何らかの弊害あると考えるのは自然だと思います。 地政学上あるいは人類学上と言うのは以下、澤口俊之先生の論文で人は霊長類の故郷としての森林を捨て、サバンナと言う厳しい環境に進出しました。その後も、砂漠とか寒冷地なとの厳しい環境進出し、こうした複雑で厳しい環境に適応するために、ヒトはネオテニー化を進めて来た訳です。ネオテニー化は原生人類でも多少なりとも進行しました。原生人類は大体としてのネグロイドからコーカソイド、ついでモンゴロイドと言う人類集団が分化しましたが、そのつどにネオテニーの度合いは進みました。寒冷地などのより厳しい環境に適応する為です。そのため、私たち日本人を含むモンゴロイドは、ネオテニー度が最も進んでいるのです。つまり幼少期が比較的長く、成人しても脳が未熟である傾向が強いのです。そのため、日本人の子供を育てるには、幼児期は長く,ていねいに行うのが基本です。

    参考資料  ネオテニーについてお話について日本人はネオテニー度が高いから脳が成熟する子供の状態を保ったまま大人になる、ネオテニー「幼形成熟」と言う生物現象があります。身近な例ではイヌがそうです。オオカミの子供の形と性質を保ったまま、大人に進化した動物はイヌだと言う事です。知育を考える際には、ネオテニーを考慮する必要があります。と言うのも私たちヒトも、実はネオテニーによって進化してきたからです。ネオテニーと言うのは、幼少期が長くなり、かつ、大人になっても未熟だと言う事です。未熟化と言うのは一見、退化のように思えかも知れませんが、そんなことはありません。特に脳の場合、未熟と言う事は、様ような知識や経験を柔軟に吸収、学習出来る事を意味しますよね。私たち日本人を含むモンゴロイドは、ネオテニー度が最も進んでいます、日本人の頭が大きい、顔が平べったい、体毛が薄い、肌がすべすべしている、手足が短い点、まさにネオテニーの特徴です。日本人は幼少期が比較的長く成人しても未熟である傾向が強いので、脳としては成長する時間が長くなり、より進化して成熟していると言う事になるわけです。今までの資料を読まれれば理解されたと思いますが、我々モンゴロイドは幼い顔のまま大人になるケースが多いので、西洋の人と比較すると若く見られます。この幼く見えると言うのは頭が良いと言う一つの目印なので、人でも怖そうな人と、優しそうな人。サルではゴリラとチンパンジー、犬ではオオカミと盲導犬など幼く見える方が頭が良いのです。従って我々日本人は遺伝的に優秀な人が多いのです。しかし一つ問題なのは我々モンゴロイドの幼い顔のまま大人になるのは、幼児期間は長く丁寧に行う必要があるので、日本人の幼児期は8年で、西洋の人はその半分と聞いています。取り扱て来たので、赤ちゃん返りがなく不登校の子はいなかったと考えます。西洋の育児を基点に論じているのは西洋の赤ちゃんには、そのとうりだと思いますが、日本の赤ちゃんと同列に論じているのは間違いなのです。この様に多くの日本人が優秀な遺伝子を持っているのに、今は三才児神話否定論で育てているので、人間的にレベルの下がっている子が多いのです。

  • P先生
    一年前、5年生の息子が荒れて不登校になったときからありがたく拝読しています。そして今は2年生の娘が母子分離不安のようになり付添登校を経て今はフリースクール登校となりました。フリースクールも嫌がってはいます。息子は今も不登校で、こちらの記事を改めて読み直しました。

    私は働いています。無理のない範囲でというか、会社に無理言って在宅ワークを駆使して出勤は月1だけにしてもらい、娘の付き添い登校しました。私が居ればというので、、。クラスに入れる日も増えたのに、嫌そうな顔が増え、結局私が出勤した日を境に先生が怖かったといって登校できなくなりました。
    関わり方が少しズレてしまったのが逆戻りした理由かな、と思います。
    結局、親の私がすごく無理をしています。
    親が無理したら子へは不安の悪循環となり上手くいかないのは理解できます。
    親の私が無理をしないと子供に付き添えないし生活もできない場合、無理のない範囲とはどういうことになるのかが悩みどころです。
    娘は月一の出勤すら恐怖で離れるが無理といいますが、最低限の言い聞かせとして、恐怖体験がまた増えるかもしれないけれど、やらせたほうがいいのでしょうか。

    六年生の息子と違って放置できないので困っています。

  •    【母性神話】パート3その他の母性
    母性神話論文パ-ト1の母性は生まれつき❓かそうでもないか❓は女性のおしゃべりの件、赤ちゃんを可愛く思えるか思えないかの件、女性の第六感の話。
    母性神話パ-ト2は女性のヒステリック性のお話。次にこの事は母性神話には書いてありませんが、私の文書のところどころに書いてある赤ちゃんから見た私だけのお母さんの独占欲と今までに合計5つ書いてあります。今回は残りの9件をまとめて書いて見ます。
    1番目の理由は女性は平均にキレイ好きです。キレイと育児の関係はキレイな方が子供は病気になりにくいのです。昔は幼児の死亡率は高く今は低いのは衛星状態が良くなった事も原因の1つだと思います。この事で有名なのはナイチンゲールで衛生管理を徹底したことによって、死亡した人がかなり減ったと言うのは有名な話です。
    この話は直接このテーマと関係ありませんが昭和30年頃までの当時の国民病であるトラホームと言う目の病気は水道水つまりキレイな水が普及してから死語になったのです。
    2番目の理由は女性は目ざとく男性はそうでもないのです。たとえば男は目の前の机の上にテレビのリモコンがあるのに、妻にリモコン知らないかと言うと怒られながら目の前にあると言われるのです。男性がなぜ目ざとくないか知りませんけど、女性の目ざとさは1番目の理由とほぼ同じで赤チャンの周りに危険な物がないか例えば現代なら押しピンなど、赤チャンに不幸が及ぶので女性を目ざとくさせていると思われます。最近ではボタン電池の誤飲問題があります。江戸時代などは乳児の死亡が高いので平均寿命が18才と言う説もあるのです。
    3つ目の理由は夜泣き問題で夜泣きは何故かしらないけど女の子に多いのです。これは次に自分が母親になった時に、私もその様な行動つまり泣いている赤チャンを長時間抱っこ出来るようにやらさせていると考えます。つまり愛された赤ちゃんは、自分が子育てする時、愛する事が出来るのと同じ原理です。男性に泣いている赤チャンを長時間あゃしながら抱っこしているのはなかなか出来ないと思います。では何故赤ちゃんは夜泣きは必要かと言うのは、保育園の昼寝は不登校の原因の1つの文書で書いたのですが、読んでいないのためにもう一度書きます。赤チャンはそもそもいつの時代生まれたか、生まれた場所が安全かどうか分からないのです。太古の昔は洞窟で生活していたと考えられ、そうすると夜小動物が出て来て赤チャンを襲ったと考えられます。それでは赤チャンとしては困るので自分の身を守る為に、お母さんに寝てもらったら困るので夜泣きをするのです。俗に明け六つなると夜泣きが止むのは小動物が帰る頃なので、その本能が今も身に付いてと言うのが私の仮説なのです。
    西洋の赤ちゃんは夜泣きがないとか、一人でも寝ていて平気と聞いています。下記の文書は私の赤ちゃん返りと西洋の育児書の問題点の1節です。
    ネットを見ていたらアメリカの人が日本社会において赤ちゃんがいた場合、川の字のように寝ているのを不思議がっていたのです、しかしこのやり方の方が赤ちゃんにとって安心なのです。例えば急に雷が鳴った時赤ちゃんは泣くと思うのですが、そこでお母さん抱っこされ安心すると思います。この安心感が大切なのです。この事は毎度言っているように西洋の赤ちゃんと日本の赤ちゃんの大きな違いで、西洋の育児書を参考にしてはいけない理由の一つです。
    4つ目の理由は男性の声のトーンが低く女性の声の方が高いのです。何故か知らないけど女性の声の方が赤チャンはよく聞くようになっているのです。紙芝居やお芝居など行うときは、やさしい声は女性の声つまりよく聞きたい声、男性は脅かすような声であまり聞きたくない声、男性は古来より動物を捕まえて生計立て来たのでそのような声になったと思います。女性は長い子育ての歴史上そのような声になったと考えます。
    5つ目の問題はオッパイの問題ですが、食べると言う問題もありますが赤チャンは親指をしゃぶっているようにオッパイを含むと言うのは安心安全を求めているのです。従ってあまり早く指しゃぶりをやめさせるのは良くないことです。 又お母さんは赤チャンに泣かれるとオッパイが張って来て準備するのです。
    オッパイと赤ちゃんの関係は、この事は母性神話パート2に書いた事をもう一度書いて見ます。
    私の仮説ですが、赤ちゃんはお母さんの顔が見えなくなれば自分が生きられない事を本能的に知っていているのです。
    従って赤ちゃんから見た時私だけのお母さんの独占欲が強いのは原因はここに起因していると考え、それでお母さんの顔が見えなくなれば情緒不安になるのではないかと考えます。

    6つ目の理由は1才~2才位の女の子には男性の大人の顔を見ると泣く子がいるのです。(特に坊主頭の人)これは男は太古の昔から動物を殺して家族に食べさせるのは男の役目でどうしても顔の相に怖いと言う一面が表れているからです。戦前の社会は肉屋さんがなく当時の男性はニワトリは自分で殺して家族で食べたと聞いています。
    7つ目の理由は女の子は幼児期、人形などで愛情を伝える練習をしている。これは本能的な問題だと思います。
    男の子は6番目の理由と関係あるのですが、将来動物を殺すため小さい子供はバッタを捕まえたり,カエルを殺したりしているのは将来動物を殺して家族を養う為の練習をしているのですが、この事は女性では無理だと思います。
    8番目の理由は特殊な話で40年ほど前に日本に6つ子が生まれたのです。女性は誰が誰だか見分けるのは女の第6感で出来ると思いますが、男性だと出来ないと思います。従って双子の場合でも赤チャンの時、見極めるのは男性は難しいと思います。
    9番目の理由は女性は上半身のぼせと言う言葉がある位上半身が暖かいのですしかもこの事もどこかで書いたように、女性は寿司職人にむかない位手のひらが暖かいのです。つまり赤ちゃんはお母さんに抱かれた時この暖かさによって寝やすい状態に陥るのです。男性は体の構造上ヒゲがあるので幼児を抱っこした時、子供は安心して抱っこされないのです.
    こう言う話もあるのですが、ある脳学者の話では女性が子育てした方が正常な脳に育つと言っています。
    私の考えでは男性は女性には逆立ちしても勝てない事が2っありましてその1つが良い子に育てる技術と言うのか、在り方は女性には勝てません。又教育の一丁目一番地はここの乳幼児期が一番大切なのです。従って男性は育児の大変さと大切さを理解して、その時お母さんをサポートする事が人生の最大の目的なのです。

    • ありがとうございます。
      勉強になります。

      自分と異なる意見の方に詳しく話を聞く機会ってあまりないので、粘着してたくさん聞いてしまって申し訳ありませんでした。
      (正直突っかかってこられることが多く、ヨミイレルさんのように説明をお願いできる感じではなく。)
      でも、すごく勉強になりました。
      そのような考え方もあるのですね。

      どちらが正しいという話でもないと思いますので、個々人が吟味して信念を持って子育てするのが良いですね。
      そのためには、まず情報を仕入れることですね。
      この考え方の根拠は何か。
      別の角度から見るとどう見えるのか。
      同じ事象も捉え方によって意味が違ってくるということがよくわかりました。

      僕の興味に丁寧に答えてくださり、本当にありがとうございました。

  • 幼児期の愛着形成が重要というのは同意見なのですが、その対象が母でしかいけない理由(父ではダメなのか【この事はアメブロの母性神話パート1。パート2を読まれて理解されなかった? 来月アメブロで投稿予定のパート3をこの後に送ておきます。】
    また保育園に預け母と接する時間が短いことがよくない理由がわかりませんでした。【この事は母子が密着すればする程離れるのは早い】
    僕は愛着の対象は、ブレない誰かであれば必ずしも母である必要はないと思っています。
    母性は母親にしか存在しないわけではありません。
    また保育園に預けて日中触れ合わなくても、自宅で安定して保護者との関係を育めれば、愛着形成は可能と考えます。【この事は子供にとって強い意志力が備わらない】
    一日中べったりで母がイライラするくらいなら、入園させ、母が笑顔で接する方が健全に育ちそうです。【このケースが難しいイライラすると言うのはすでに三才児神話の否定論者の被害者なのです。本来女性は子育ては楽しいのです。この事はママをやめてもいいですかのアンケートについて書く予定。】
    この2点がダメな根拠はありますか?
    また、不登校や幼児虐待は、社会的な背景が大きいでしょう。【私の考えは三才までに行動の80%は決まる不登校の原因は幼児体験不足により赤ちゃん返りの現象】不登校は社会的に認知されてきており、選択肢の一つとなっています。昔は不登校という選択肢がありませんでしたし、社会のあり方(働き方、生き方)も一様な面が強かったです。
    今はそういう時代ではありません。、
    学校が合わないなら不登校となって別の道を探せばよいと僕は思いますが、不登校を悪とする根拠はなんでしょうか?【不登校で終われば良いのですが、多くはニートになる」
    そして不登校と3歳児神話を結びつける根拠が、未満児保育を開始した年代と一致するためというのはいささか弱い気がします。保育園に行った子の不登校率が高いという統計はありますか?【本当はここを調べるとはっきりするのですが、20年程前附属幼稚園へ行った時、附属中学校で不登校の子は何人いますかと聞いた時、あっさり一人もいませんと言う答えでした。】
    幼児虐待の件は今のお母さんは三才児神話否定論で育っているので増えるのは当然かなと思います。

    • ありがとうございます。
      拝読しました。

      幼児期の愛着形成が重要というのは同意見なのですが、その対象が母でしかいけない理由(父ではダメなのか)、また保育園に預け母と接する時間が短いことがよくない理由がわかりませんでした。
      僕は愛着の対象は、ブレない誰かであれば必ずしも母である必要はないと思っています。
      母性は母親にしか存在しないわけではありません。
      また保育園に預けて日中触れ合わなくても、自宅で安定して保護者との関係を育めれば、愛着形成は可能と考えます。
      一日中べったりで母がイライラするくらいなら、入園させ、母が笑顔で接する方が健全に育ちそうです。
      この2点がダメな根拠はありますか?

      また、不登校や幼児虐待は、社会的な背景が大きいでしょう。

      不登校は社会的に認知されてきており、選択肢の一つとなっています。
      昔は不登校という選択肢がありませんでしたし、社会のあり方(働き方、生き方)も一様な面が強かったです。
      今はそういう時代ではありません。
      学校が合わないなら不登校となって別の道を探せばよいと僕は思いますが、不登校を悪とする根拠はなんでしょうか?
      そして不登校と3歳児神話を結びつける根拠が、未満児保育を開始した年代と一致するためというのはいささか弱い気がします。
      保育園に行った子の不登校率が高いという統計はありますか?

      虐待は、明らかに通告の閾値が下がっています。
      今は少しの泣き声で通告されますから。
      世間が子供の権利に敏感になっており、良い時代だと思っています。
      意地悪な言い方ですが、昔は子供は怒鳴られて殴られて当然という意識だったため、虐待通告件数が少なかったという考え方はできませんか?

  • 三才児神話を調べていたら、この文章が出て来たのでコメント入れておきます。
    私は三才神話肯定論をブログで書いているのです。色々と理由があるのですが、その理由の一つに三才神話を歴史的に考えるのです。昭和40年ころまでの日本人は三才神話肯定論で育ったので、人間として極めて健全だったのです。しかし三才神話否定論を行って50年人間としてどこが悪くなった事を書くと、サイレントベビー、幼児虐待、小1チルドレン、いじめ問題、学力低下、不登校、ニ-ト、給食費、保育費の未払い問題、多くの離婚,街の落書き、放火、荒れる成人式、育児ノイローゼ、ウッ病などの精神疾患なのでこの事は当時はほとんどいない時代でした、
    もう一つは現在進行の三才児神話肯定論と否定論の差です。その例として全国の附属と言われる小学校,中学校はレベルが高いのですそれは3才あるいは4才まで親元で見ていて付属幼稚園に入園させた子がそのまま小学、中学生として構成されているからで、三才児神話肯定論で行った結果です。一般の中学校は多くは三才児神話否定論で構成されますから問題児も多く学校の先生も頭が痛いと思います。本当はまだまだ数多くの理由があるのです。

    • 興味深いですね。

      >昭和40年ころまでの日本人は三才神話肯定論で育ったので、人間として極めて健全だったのです。
      人間として健全とは、どのような状態を指すのでしょうか。どんな尺度で測るのですか?

      >サイレントベビー、幼児虐待、小1チルドレン、いじめ問題、学力低下、不登校、ニ-ト、給食費、保育費の未払い問題、多くの離婚,街の落書き、放火、荒れる成人式、育児ノイローゼ、ウッ病などの精神疾患なのでこの事は当時はほとんどいない時代でした、
      このあたりを指すとしたら、以前からあったと思います。
      表面化しなかっただけの可能性はいかがでしょうか。
      虐待などしつけで済んでいた時代ですし、サイレントベビーはむしろ育てやすいと肯定されました。
      臨床での肌感覚的には、虐待(子供に対する暴力)は減っています。
      離婚など、幼児期の教育ではなく女性の経済的・社会的な自立により増加した可能性はいかがでしょう。
      そもそも今離婚している世代は、専業主婦家庭で育った方が多数派かと思われますが。

      >もう一つは現在進行の三才児神話肯定論と否定論の差です。
      付属小学校は、社会的・経済的に上位のご家庭のお子さんが入学します。
      三歳児神話を語るのであれば、公立小学校・中学校で、経済力や親の学歴を是正した上で、保育園出身者と幼稚園出身者を比較する必要があると思います。
      これはすでに複数研究されており、学力も問題行動も差がないという結果が出ていたように記憶しております。

  • 前ブログの際に母子付き添い登校をしているとコメントした者です。
    来週からまた学校が始まり、ちょっと憂鬱ですがわたしが無理のない範囲で付き添っていこうと思います。
    週1回は休んでやりたい事します!!

    • ゆっくり、無理のない範囲で付き添ってあげてください。
      週1はお休みでお願いします!

  • P先生、お引っ越し作業、おつかれさまでした~!
    以前の記事も、アーカイブに残っていて有り難いです。何度も読み返していて、それが私の、精神安定剤なので(^^;)

    「親の無理のない範囲で」がほんとにキーですね。不登校になってから数ヶ月は、私の場合そこまで思考が至らず、何をどうしたら登校するの?→ここまでやってるのになんで改善しないの?と親子で首を締めていたような気がします。

    改めて、ご自愛の大切さを確認できました。

    引き継ぎ、毎回気づきをくださるブログ、楽しみにしています!

    • そうですよね、「親に無理のない範囲」がキーだと思います。
      『ご自愛』ください!

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