『不登校は育て方ではなく、持って生まれた性質です』
外来で、何度お伝えしてもデモデモダッテされるお母さんがいる。
そのときは理解した感じでも、翌月の受診では
やっぱり私の育て方が悪かったんですぅ!
という結論に持って行きたがる。
よーし。
そっちがその気なら、ぐうの音も出ないくらい正論で叩き潰してやるからな!
僕は初代ファミコンと同い年なんだからなっ!(弱そう)
僕はかなりの数の不登校のお子さんおよびその親御さんと会ってきた。
数の暴力で言わせてもらうが、親御さん、みんなスゲーまともだ。
この人は子供を不登校にしようと企みまんまと達成したのだな、なんて人は皆無だ。
以前にも書いたが、親の接し方で子供を不登校にする方法を考えた。
めっちゃ考えた。
でも、どう転んでも子供は学校に行ってしまうのだ。
以下、親の声かけのシミュレーション。
「学校に行きなさい」 →学校に行く。
「学校はお休みしなさい」 →無視して行く。
「(何も言わない)」 →勝手に行く。
学齢期以上であれば、子ども本人の意思で学校に行くと思うのだ。
「行っちゃダメ」と言われた場合でさえ、「うちの親何言ってんの?」ってなもんだろう。
自宅にいても、どうしたって『暇』だ。
親より友達を求める年齢だ。
みんな当たり前に学校へ行き、一緒に勉強したり遊んだりしている。
当然、自分もそうしたい。
それが普通の反応だ。
「学校に行かないで家にいて!」と叫ぶ母を無視し、「イソノ〜、野球しようぜー!」が正常な反応だろう。
唯一、幼少期から学校に行かないよう英才教育を施した場合のみ、不登校になるかもしれない。
「アナタは学校へ行かず、家族のために奉公してくれるのよね。
そうしないと家族みんな野垂れ死ぬわぁ困ったわぁ」
子供の罪悪感を人質にとって洗脳し続けた場合。
この場合は、
「私、大きくなったら学校に行かないで吉原で働く!」
とか言い出すかもしれない。
だとしたら、不登校の子はみんなもれなく花魁なんですよねそうですよね。
僕の外来に花魁が来たことは、一度もない。
でも、吉原ではなく学校にお子さんを引っ張って行く親御さんなら、たくさんいる。
そうなのだ。
親御さんは基本的に、学校に行ってほしいのだ。
「学校に行かないのが正義」という英才教育を施す親なんて、見たことがない。
子供がこんなこと(不登校)にならなければ、特に悩むこともなく当たり前に通学を続けさせただろう。
もともと「学校に行くのが普通」という価値観を持っていた親御さんだ。(不登校になった後でその考え方が変わることは普通にあるしむしろ素晴らしい)
特殊な育児なんて、するわけがない。
育児なんてどの家庭でも特殊で、どの家庭でも普通だ。
不登校の家だって、ごく普通の令和の家庭だ。
あなたの家だけ江戸時代の農家ですか?
土間とカマドがあります?
あ、もしかして鎖国中?
甘やかしたからそうなったわけではない。
そういう子だから、甘やかす必要があった。
そもそも大多数の子は、学校に行かないなんて言い出さないわけで。
当たり前に学校に行くわけで。
うちの子は「学校が合わない」とか言い出したから、寄り添う必要が出てきたのであって。
タマゴが先かニワトリが先かでいうと、明らかに子供の特性が先だ。
生まれつき『学校が合わない』特性を持った子だ。
他の部分でも育てにくい面があったかもしれない。
そんな子だから、親御さんが接し方を工夫して、ここまできた。
時には甘やかすこともあったかもしれない。
でも、甘やかしたからこうなったわけでは、断じてない。
ここを混同されているのだと思う。
これを勘違いして、「不登校になったのは甘やかしたからだわ。今からでも厳しく接し、無理やりにでも学校に連れて行かなきゃ!」と考える。
わかる。
生まれ持った性質だとしたらどうしようもない。
でも親の接し方のせいで不登校になったとしたら、今から対応を変えれば「普通に」学校に行くようになるかもしれない。
不登校が治る目があるのは、親の育て方説だ。
だから「親のせい」にしたいのだろう。(そしてこれは無意識だろう)
でも、そうするとどうなるか。
外来のお母さんが言うように、デモデモダッテで今から厳しくしてみる。
確かに、親が接し方を変えると、子の行動が変わる。
どんな結果になると思います?
全然無理?
諦めて学校に行く?
子供はどう感じる?
次回、僕なりに考察しようと思うので、それまでちょっと考えてみてください。
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1年前にP先生に出会いたかったです!!
1年前、学校に行けなくなり、小児神経科にかかったら、そこの医師に「お宅は特殊な環境(次男が重度知的障害+自閉症)だから、お子さんがこうなった」と言われました。
この環境は変えられない。じゃあどうすればよいの?と落ち込みました
その医師は母親が特別支援学校の校長と特別支援のサラブレッドなのですがね。
もともとの性格だと分かった今でも、この言葉を書いていて凹みます。