「高知能」
この言葉を聞いて、どう感じますか?
診察していて、高知能の大変さを感じることがある。
高知能なのに、大変なのよ。
基本的に、支援がなにもない。
高知能。
高IQ。
診察していると、ちょくちょく出会す。
彼ら/彼女ら特有の困難って、あると思う。
高知能ならいいじゃんって思う?
IQ高いんだもん。
勉強も友達も日常生活も、平均より上手にこなせそうじゃん。
将来的にはいい仕事につけそうだしさ。
いいじゃん、頭脳ガチャ、大当たりじゃん。
そう思われることが多いでしょうか。
でも案外、そうでもなくて。
境界知能でも書いたけど。
高知能の人も、能力がデコボコしていることが多いのだ。
得意・不得意に差があるのね。
平均的に高知能ってあまりお目にかからない。
ある分野は、超絶高くて。
別の分野は、まあまあ高くて。
平均すると高知能、ってケースが多い。
そういう人が困りやすくて病院に来やすいってだけかもだけど。
実際は平均して高い人も結構いるのかもだけど。
僕はあまり会ったことがない。
多分、一般的にも、高IQ全般として能力のデコボコが大きいんだと思う。
根拠ないけど。
でね。
IQの高低に関わらず、
能力がデコボコしてる人は基本的に生きづらい
わけです。
これは、低IQでも平均IQでも同じ。
得意・不得意に差がある人は、
生きにくい
です。
トガった個性。
変わった『玉』。
その時点で生きていくのにコツがいるし、工夫が必要となる。
「ふわっとなんとなく生きていく」のは、その人の性格にもよるが、難しいことが多い。
でね。
高IQに関わらず、得意・不得意にデコボコがある人全般そうなんだけど。
周囲から理解されづらいのね。
自分の当たり前が、他の人の当たり前と一致しない。
周りに理解されない。
これ、超絶生きづらい。
他の人の「ふわっとこんなもんだよね」が、自分には当てはまらない。
この時点で、生きていく難易度はかなり上がるだろう。
加えて、高IQだ。
容易に想像できるんだけど、
授業つまんない
だろう。
授業に限らず、日常のコミュニケーションなんかでも、IQの差が壁となる。
こうなる。
わかり切ったことを、長々と説明されるのだ。
「わからないことがわからない」。
は? みんな、なに言ってるの⁉︎
でもコレ、イヤなヤツじゃん?
感じ悪いじゃん?
クラスにこういうヤツがいたら、イヤじゃん?
だけど、見下してるわけじゃないんだ。
マジで、素直に、こう感じちゃう。
性格悪いわけじゃない。
高学年の子が、1年生の教室で授業を受けているような。
進みも遅いし、超絶つまんない。
そして、授業って学校の大部分を占めるからさ。
授業がつまんないと、学校がつまんない。
高知能は、不登校になりがちだったりする。
しかもさー。
同じ「授業つまんない」でも、分からない方、授業についていけない方は、まだマシなんだよ。(ちなみに授業がサッパリわからないのも、学校が超絶つまんないです。)
フォローがあるから。
そう言えばきっと、先生は積極的に教えてくれる。
教えるのが好きで、先生になった人だもの。
目をかけて、フォローしてくれる。
学校によっては、補習や、習熟度別授業もある。
でも、
もっと難しい問題を出すか、さっさと先に進んでください。
↑コレ、やばくない?
先生、どう感じるだろう。
他の子からも総スカンだろうし。
「授業の進度がその子の理解ペースに合わない」という点では、高知能も低知能も同じだ。
だけど、片や熱心に指導が受けられ。
片や総スカン。
もちろん、授業についていけない子特有の大変さもあるけどさ。
高知能の子は、フォローが何もない。
授業の進度が合わないと表明したところで、「感じ悪いスカしたヤツ」というレッテルを貼られるだけ。
彼らの知的好奇心を満たす支援はなされないことが多い。
嫌われ損じゃん!!!
それが分かるから、高知能の子は学校では鳴りを潜めている。
せっかくの能力を発揮することなく、息を潜め、ひたすらに時間を潰していたりする。
超絶もったいない。
僕の経験の中での話だけど。
実際、
高知能の子は能力に見合った高学歴とは、全然限らない
のだ。
IQ高いのに、成績はさほどよくない。
IQ高いのに、それほど偏差値控えめの学校へ進学する。
能力を発揮しきれないんだよねー。
学校のやり方が合わないとか、デコボコの部分をやいのやいの言われて自信をなくしただとかで。
能力が成績に反映されない子が多い印象を持っている。
少なくとも、高校くらいまではそんな感じ。
大学や就職、その後で、しっかり評価されるのかな?
わかんないけど。
多分、そうでもないんだろうな。
超もったいない。
高IQには、高IQだからこその支援が必要だ。
トガった個性だ。
せっかくの高IQだ。
埋もれさせたら超絶もったいないと思う。
でも、現状スルー。
低IQや発達障害への支援は、そこそこある。(足りてないけど、ギリギリchopの問題もあるけど、今はそれは言及しない)
でも、高知能への支援はない。
「ない」。
基本放置。
大変だよな、高知能。
僕は高知能でもなんでもないので、彼らの悩みを真に理解することはできない。
でも、上記システム上の困難があるだろうことは、容易に想像がつく。
頭脳ガチャは当たったのかもだけど、生まれる時代や環境は、「今」「ここ」じゃなかったのかもしれないなーと思う。
むぅ、もったいない。
だって、思うんだよ。
低知能は学校の勉強が合わないんだもん、支援してやって。
同様に、高知能だって学校の勉強が合わないんだもん、支援してやってよ。
だけど、支援はない。
「ない」。
自助努力だ。
結局、トガった人は生きづらいのだ。
何かのスペックが平均から離れれば離れるほど、工夫が必要になる。
※傾向の話です。全員が必ずしもそうじゃない。
高知能だって、一種の「トガった個性」だ。
なのに「高知能ならいいでしょ」「自分でうまくやってよ」と、自己責任論になりがち。
これが、高知能ゆえの生きづらさだよなーと思う。
View Comments
私もかつて思ってました。高知能ならいいじゃない、と。何が問題なのよ、ラッキーじゃない?とすら。
でも、高知能の子どもたちを見ていると超絶生きづらい。特に義務教育期間。ただただ時間をつぶして過ごす日常。高知能なのに凸凹あって勉強も先生の言った通りにはできないし上手く能力が発揮できないからサボってると見えちゃうし。独自路線をいくと周りを置いていっちゃうし。そりゃ不登校にも適応障害にもなりますって。
そして親も子も高知能なんて周りに言ったときの白い目を想像できるから言えないです。それがとても孤独でしんどいです。ひっそりと身を潜めています。きっと社会に出たら他人の手を借りなんとか上手くやってけるんじゃないかなと期待しながら見守っています。